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君はなぜ、本気になれないのか。

最近まで読んでいた本の中に

「君は本気になっているか?」

という一文がありまして。
迂闊にも読者である僕までもがドキッとさせられた。

冒頭のセリフは、それは、ビジネス系のサクセスストーリー物の本であった。
仕事をサクサクこなし、そこそこの業績を出しながらも
“いつかはトップにおれもなる”なんて、甘っちょろい考えをしていた主人公に上司が放った言葉だ。

なぜ僕も一緒になってドキッとしたかというと、正に主人公と同じ思考回路だったかだら。

現在、僕は理学療法士として利用者さんのリハビリ業務に当たっている。
入職したての頃は、それはそれは「すごいPT(理学療法士のこと)になるぞ〜!」とめちゃくちゃに勉強に励んだ。
だが勉強すればするほどに、治せない患者に出会ったり、全国を見れば知識量も技術もハンパないPTが多くいることに気づかされた。

そんな中で、一年目の頃の希望とやる気に満ちた炎は陰りをみせ、いまではある程度の知識量と技術が生半可についてしまった分、以前ほど理学療法に熱中することはなくなってしまった。

しかし、その本の主人公と上司のやりとりを読んで、ドキッとする自分、すなわち本当は本気を出したいと思っている自分に気がついた。
そこで“本気を出す”ってなんだろう?“本気が出せない”のはなんでなんだろ?と考えるようになった。

まだ、あやふやな答えかもしれないが、自分なりに考えた「本気を出せない理由」をnoteに残そうと思う。

本気を出せないのは「恥ずかしい」から

「なんで本気にならないの?」
と、自分に自分で質問をあてたとき、以下のようなワードが浮かんできた。

・恥をかくのが怖いから
・本気になった先に結果が出ないのが怖いから
・失敗するのが怖いから
・人の目が気になるから

などなど、どうやら
①頑張った先の成功が保証されていない(費用対効果の不安定さ)
②失敗や頑張っている自分へ向けられる目線へ不安(他人からの蔑視)

が本気を縮小させてしまうのではないか、と考えた。

①、②だけを見ると、なんの報酬も保証されていない事象に努力と時間を割くことは、たしかにドMの所業に思える。ドM作業に自ら飛び込みにいく。その羞恥心が人々の本気にストップをかけてしまっているのではないかと思う。

しかし、同時にこんな質問もしてみた。
「本気になって何かに取り組んでいる人は、ダサいと思うか?」

僕の答えは「いや、かっこいい」
である。

羞恥心に勝つ方法、それは信念を持つこと

ひたむきに何かを頑張っている人は、時に罵倒されたり、からかわれたり、失敗すれば笑われたりする。

凡人の僕からすれば、それはとても恐ろしいことだ。
だけど、彼らはそんなことは気にしない。
目指すべきゴールに向けて、笑われても、貶されても、前に突き進む。
そのエネルギーはどこから来るんだろう?

その答えは、僕は信念なのだと思った。
信念、くらいの言葉しか思いつかなかったから、この言葉を使うのだけど、使命でも想いでも夢でもなんでもいい。
とにかく無我夢中で「こっちだよ」と、前に進ませてくれるエネルギーの塊のようなもの。

信念という名のエネルギーは、ときには自分の方向性を示す羅針盤になり、ときには心ない敵意から身を守るプロテクターにもなる。
本気な人たち、というのはこの信念が明確になっているのだと思うのだ。

では、信念とは一体なんなのか?
それは、言葉である。

ルフィの「海賊王に、おれはなる!」然り、
ナルトの「火影になるってばよ!」然り(すんません、うろ覚えです)。
彼らの物語は、なんとなく海を航海したり、忍法を使っているわけでなく、信念(言葉)にしたがって行動しているのだ。だからこそ、応援したくなる。

「なんで海賊になったの?」と聞かれて、ルフィが「海が好きなんだ〜」とか「なんとなく海賊王とかかっこいいと思って!」とか言ってたら、嫌だ笑

あと、思ってるだけでもダメだと思うんです。
(海賊王になるぞ〜こっそり)って心の中でも思ってるくらいのときは、信念になりきれてないと思うんです。そんなルフィはきっと、グランドラインのどっかで死んでます。

自分の経験や体験から、自分のエネルギーの流れる方向を見極め、「◯◯になる!」とハッキリと言葉にした時点で、その言葉が強烈なパワーになり変わるのだと思います。

信念がある人、と頑固な人は違う

今まで信念がある人頑固な人って何が違うんだろ〜、なんか似てない?と思っていた。

最近のニュースで岡山の市議が少し話題になった。この方は、「自分の決めたことは一切曲げない」という信条をお持ちだったそう。コロナ禍のなか、病院をマスクを付けず受診し、看護師にそれを注意されたところ逆に激昂した、という報道だった。

「一切曲げない」というのは、信念ががありそうで、なんだかかっこいい。

だけど、こういったのは信念があるとは言わないと思う。
僕の中での信念と頑固の違いは以下だ。

(信念)
・人からの意見にも耳を貸す→自分の信念にあてて、参考にするかどうか一考する
・自分の行動で、他人に迷惑がかかれば謝罪をし、行動を改める
(頑固)
・人の意見には耳を貸さない
・他人に迷惑をかけても翻らない

まとめると、
他者からの指摘を
信念:新しいエネルギーに変える
頑固:貶されてると感じ、受け付けない
という違いなのだと思う。

信念があって本気で取り組んでいる人は、他人からの指摘を恥とは受け取らずに、柔軟に受け入れてより強いエネルギーへ変換する。

頑固な人であったり、信念がうまく固まっていない人は、他人の指摘をうまく受け入れられず、反発したり諦めてしまったりするのだ。、

そもそも生きてるだけで恥だらけ

つまるところ恥とは他人の目のことだと思う。
他人の目にどう映っているのか、他人と違わないか、そう言った意識が羞恥心を作っているのだ。

しかし、そもそも生きている人の中で、何から何まで全く同じ人はいないはず。まったく同じ行動をとっている人もいないだろう。
人と違う行動をとること=恥、だとするならばそれはもう生きているだけでみな恥だらけなのだ。

そういう風に考えてみると、恥をかくことを恐れて本気を出さない、というのはもっと恥ずかしいことなんじゃないかな?と思えるようになった。



実は僕も目標にしている人がいる。
前まで恥ずかしく言えなかったが、僕はやっぱり「すごいPT」になりたいな、と思った。
もう少しすごいの中身を練らないといけないけれど、少しだけ本気を出せそうな気がした。


それではっ!

↑ドキッとさせられた本

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