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読書感想文を書こう

最近、読書感想文を書いていない。
いや、正確には本を読むごとに書いてはいるし、Instagramに投稿したりしている。

それでも「書いていない」と感じてしまうのは、感想文を雑多に書くようになってしまったからだ。「雑多に」の部分を、片手間に、作業的に、淡々と、義務的に、と言い換えてもいい。

2年ほど前、Instagramで読書アカウントを始めた。一冊の本を読んで感じたことや、思ったことを自分の言葉にするためだ。

自分の考えや感情を「言葉にする」って作業は、存外難しく、当時はひとつの投稿を作るのに1〜2時間くらい時間がかかった。

でも、そうやって時間をかけて丁寧に言葉を紡いでいった結果、自分の思考や感情の姿もハッキリとするような感じがあった。
本から得た何かが、心とか脳とかいう場所に留まる感じが嬉しくて楽しくて、読書感想文を書くことを続けた。

しかし、最近は「本を読む」という作業自体に熱中し、読書感想文を真剣に書くということは減った。
「あ、投稿しなきゃ」と思い立って文章を書くことが増えた。
読む冊数は増え、読むスピードも速くなってきたにも関わらず、自分の中に溜まっていく感覚はむしろ、以前より薄くなっていた。

きっと読書感想文を書くこと自体に慣れて、書くことがなあなあになってきているのだと思う。
好きだった「書くこと」も、ただの作業になってしまえば、それは考えて書いているようで、実は考えなくなっている。

僕は常々、文章を書いたり、削ったり、足したりすることは彫刻を彫る作業に似ている、と思ってる。

「自分の感情にピッタリな言葉はなんだろう?」
「この本を読んで何を感じただろう?」
「どうすれば自分の思いが読む人に伝わるだろう?」

ひとつの事象に対して、あーでもない、こーでもないと自分の文章を校正していく。
そうやって書いてる間に、自分でも思いもよらなかった“かたち”に出会える。

それが、面白いのだ。それが、嬉しいのだ。
きっと、そうして見つけた“思いのかたち”だけが、自分の中に留まり続けるのだ。

だから、もう一度、本から、事象から得られた思考や感情の“かたち”を文章で彫ってみたいと思う。
少々時間がかかっても、「読書感想文」を書くことに挑戦しようと思う。

自分にとっての「本の価値」とは、その本から得られる自分の思いの“かたち”にある。
そのかたちは、本を読んで呼び起こされる自分の文章に現れるのだから。

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