【広島・尾道】2泊3日ひとり旅 ②尾道商店街・千光寺散策編
DAY1 尾道を歩く②
〇おやつとやまねこ -我々だって絵本になりたい-
13時4分、尾道駅。これから待ち受ける旅路にワクワク半分、容赦なく照りつける夏の陽射しに躊躇半分、持ってきた日傘をいそいそと準備する。いやぁ日傘がここまで偉大な文明の利器になるとはね〜っへっへ。太陽にロックオンして、周囲の空ごと丸型にくり抜くよう傘をぐわっと広げた。足元には生まれたての日陰、今日から3日間よろしく頼むぞ。
駅前のバス・タクシー乗り場の向こうには海が見える。こんな近くにあるんだな、ていうか海ってこんなに濃い青色だったっけ。塗り重ねずともあの濃さであの深さ……自然の色というものは実に美しくて恐ろしい。
駅を出て信号を渡ってすぐ左、線路と並行に伸びた駅前商店街の中にその店はあった。「おやつとやまねこ」。赤とクリーム色の軒先テントも、掲げられた店名の手書きフォントも、レトロで絶妙に可愛らしい。宮沢賢治の絵本にそのまま出てきそうな雰囲気である。"やまねこ"という字面に見覚えがありすぎるだけかもしれない。
地元で大事にされているお菓子屋さんやパン屋さんって、商品紹介の手作りチラシや地元イベントのポスターがたくさんガラス窓に貼られているイメージがある。地元の老舗パン屋さんがそうだったし、もれなくここもそうだった。透明なガラス引き戸に敷き詰められたカラフルな色紙(いろがみ)が、この街の血色の良さを物語っているようだった。あどけなくて、子どものように朗らかである。
私のお目当ては何と言っても尾道プリン、一度は食べてみたいと思っていた尾道の名物スイーツだ。灼熱の屋外で15分ほど並んで、ようやく私の番が来た。店内に一歩踏み入れると、そこはおもちゃ箱みたいな小さな世界。見ているだけでカランコロンと丸い音が聞こえてきそうな雰囲気だ。
「尾道プリン1つお願いします。」何かを注文する時、"ください"という言い方が昔からできない。ちょっとあまり心地よくなくてね……
注文を終えて商品が出てくるのを待っている間、ショーケースの端から端をじっくり見ながら2往復する。注文した後になってショーケース内のラインナップをまじまじと眺めてしまうあの現象は何なのだろう。ファミレスで注文を済ませた後にメニューをじっくり見返してしまうのと同じか。尾道プリンには王道のプレーンのほかに抹茶味とカフェラテ味があるらしい、プレーン、抹茶ときて3番選手がカフェラテなのは意外。
この暑い日に生菓子を長時間連れ回すのは少し気が引けたので、買ったプリンはその場で食べてしまうことにした。かき氷のように店前でプリンをつつくのは何とも新鮮だ。振り返って店を出ると、私の後ろにはあっという間に7、8人の行列ができていた。……この光景をさ、絵本にしてもいいんじゃないか。この手のひらに収まる小瓶ひとつのために、猫ではなく160㎝前後の生き物が、財布片手に列をなしてウキウキ待っているんでしょう?可愛いよ、結構。
銭湯の牛乳瓶を開けるときのように、ゆっくりカポッとふたを開ける。お皿に出して食べるプッチンプリンとはまた違ったときめきがある。
わ~~~なめらかプリン!好きなプリン!とても濃厚でクリーミーだけど、スプーンを割り入れる時に表面のムチムチとした張りを感じられるくらいにはちゃんと’固体’感もある。まさに絶妙な食べ応えだ。
ところで……この明らかに醤油でもカラメルでもない何かが入っている醬油差しは何なのか。ショーケースにあった商品名プレートを見て初めて知ったのだが、実はこれ、レモンソースという名のレモン果汁なのだそうだ。プリンにレモン?確かにレモンスイーツは美味しいけれど、あくまで風味として練りこまれているから合うのであって、直接果汁をかけるのはさすがに微妙なのでは?
恐るおそる一口食べてみる。
……驚いた、チーズケーキじゃん。レモンと合わせることでプリンの濃厚さがさっぱりとした甘みに変わる、これは美味しい!新しい食べ合わせを見つけたシェフのような気持ちで、嬉しさに思わず頬が緩んだ。こんなに汗だくでプリンを食べたのも、笑顔満開で人前でプリンを食べたのも、私はきっと初めてだ。
食べ終わったプリン瓶は記念に持ち帰ることにした。調味料や小物を入れるのにちょうどいいと聞いたことがあるけれど、どうやって使おうか。
〇千光寺山ロープウェイ -大胆にいきましょうか-
プリンの余韻がまだ口の中に残っているうちに、お次は千光寺ロープウェイ乗り場へと向かう。食事によってもたらされた幸せって、更新されていくスピードが早いから少し寂しい。だから皆、お気に入りの味を求めて何度も足を運ぶのだろうな。
人間が屋外で一番太陽に劣勢を強いられるのは、信号待ちの時だと思う。頭の中が「あつい」「むり」の平仮名に冒されていく。汗がぽたぽた止まらない自分の代謝の良さを恨んだ。手には日傘とハンディファンとスマホ(地図)……身動き取れないよ!東京駅での教訓を思い出し、リュックからエコバッグ代わりのトートバッグを取り出した。
ペットボトル、冷感シート、財布、モバイルバッテリー、チラシやショップカードを収納するクリアファイル、日焼け止め、かゆみ止めをほいほいっと放り込んでいく。はあ、何も考えずに物をぶち込めるって最高だ。
先に進むと少し大きな本通り商店街にたどり着いた。商店街では必ずといっていいほど見る天井部分のアーケード、この半透明の天窓が生み出す白濁色って不思議と落ち着くんだよな。両端から主張してくる店看板も素敵で、分かりやすく目移りしながら通りの真ん中を歩いていく。平日の昼間で人影も案外疎らだったのでこういう大胆な散歩も叶ってしまう。嬉しいね。
道すがら、随分とスタイリッシュなヤマト運輸を発見。猫のぬいぐるみがそれはそれは大所帯でこちらを見ていた。
商店街を抜けて左へ曲がると、先程の線路沿いの道の続きに出た。いやあ路地ってロマンだな。道を囲うブロック塀、視界の少し先を水平に横切る焦げ茶色の線路、遠慮気味にカンカンと鳴る踏切、揺れる葉の黄緑色の透け感まで完璧だ。まさに理想的な夏の街角。何でもない曲がり角にこそ、はっと息をのむような風景がある。これだから散歩はやめられない。
しばらく進むとロープウェイ乗り場の案内看板が見え、無事切符売り場に到着した。正面の窓口はあくまで観光案内所として機能しているようで、切符は隣の券売機で買うシステムらしい。片道料金500円、往復料金700円。帰りは猫の細道を歩いてみたいから、片道でいいか。そう考えながら待っていると突然、前方から甲高い「ペイペイ!」が聞こえた。私の前に並んでいた親子がPayPay払いをしたらしい。ほお、QRコード決済もいけるのかこの券売機。老舗中華屋の食券機みたいな見た目だったから普通に現金払いのつもりでいたけれど、思ったより浸透しているようだ。
「お母さんPaypayくじやりたい!」
「ハイハイあとであとで。」
何気ない会話の後、親子はロープウェイ乗り場へと向かっていった。残された私はといえばジェネレーションギャップに静かに震えていた。これが令和時代の親子の日常……私も小さい頃は親にお願いしてスーパーのポイントカードをスラッシュさせてもらったものだが、時代は変わったのだな。
切符を買った後はエレベーターで2階に移動。扉が開くと、ロープウェイの大きな箱がゆったりゆらゆら出迎えてくれた。よし、窓前ポジション陣取ったり。窓というか、窓枠か。完全に開け放たれているのでとにかく全力で風が吹き込んでくる。でも不思議と嫌な心地は全くしない、目を閉じてただ風を顔で受け止める時間はとても至福だった。前髪の乱れも今は気にしないでいよう、風は自然のコームだ。
山麓駅と山頂駅を結ぶたった3分の空中散歩。ロープウェイは想像の何倍もスイスイと上がって行く。電車の線路と違って連結部分みたいなのが無いからか、滞りなくスーッと私たちを運んでいく。ゆえに高所への順応が間に合わなくて、"あれ、ちょっと待ってこんな高い?"と心の内で静かに焦っている自分がいた。高い所になると少々非力になるところは昔から変わっていない。
〇千光寺頂上展望台PEAK -鏡のようだと言ったのは-
すごい場所にすごいスピードで運ばれてしまった。箱から降りると、ロープウェイのスタッフさんがようこそ!と笑顔でうちわをくれた。猫のうちわだ。猫柄ではなく猫の顔面のうちわである。デフォルメが効いた可愛い黒猫、その裏面にはスタンプラリーでよく見る丸い白枠がプリントされていた。「記念にどうぞ」とあるので久々に観光地でスタンプを押すというイベントをやってみる。扇ぎながら乾かそうか、この天気ならインクもすぐに乾いてくれそうだ。
山頂駅がある千光寺公園は、あくまで千光寺近くの公園であり千光寺の境内地ではないようだ。小高い丘へと向かうと、何やらぐるぐると渦を巻く謎の巨大建造物が現れた。PEAKという展望台だそうで、このぐるぐるスロープをひたすら上っていくと直線形の細長い頂上展望台にたどり着くのだ。
屋根もない、壁もない、手すり以外に遮るものが何もないという最高の開放空間。これは完全に空を飛ぶ鳥たちの視点だ、ちょうど目の前では鷹のような鳥が悠々と風に身を委ねて飛んでいる。
海が美しいのはもちろん、その青に負けないくらい山の緑が目に飛び込んでくるのは予想外だった。たしかにここは広島県、山陽と呼ばれるくらいだもんな。山の激しさと海の穏やかさの組み合わせが、凸凹ゆえに完璧だと思った。それにしてもこんなに静かな海を私は初めて見た。水面をよく鏡に例えることがあるが、今私がここで感じている'鏡'感はいつもと少し意味合いが違う気がする。
山の上の展望台なので、太陽に物理的に近いうえに風もびゅうびゅう吹いている。抵抗するも早々に限界が来て、"数分だけだぞ"と日傘を閉じて身を明け渡した。天を仰いでいると、そうだ私は地球というすごい星に生きているんだったなと思い出す。じりじり焼かれてる〜〜〜未来の自分よ許せ〜〜〜
って、ん、何か展望台の下に人が群がっているな。さっきの黒猫うちわで女の子たちが何かを涼ませている。猫、猫か?猫ちゃんとの遭遇は尾道での裏ミッションだったので、もしそうなら嬉しい。展望台をまたぐるぐると駆け足で下りていった。
居るね〜、濃いグレーの猫ちゃんだ。お腹を床に付け、熊の毛皮の絨毯みたいに四肢を伸ばして寝ている。まあそりゃこの天気だもの、夏バテするよね。逆にこんな毛むくじゃらで耐えていてすごいと思うよ……さっきの観光客と同様に私も黒猫うちわで扇いであげた。ちょっと似てるかな、猫ちゃんの顔と並べて写真を撮りたかったが、こっちを向く気配は全くと言っていいほどなかったので断念。
途中やって来た小さな女の子が、隣で優しく背中を撫で始める。傍から見ればほっこりする風景だが、しゃがむ体勢に慣れていないのか、その子が何度もふらふらっと体勢がぐらつくので、履いているクロックスでしっぽを踏んでしまわないか静かにヒヤヒヤした。
ここからは下山、長時間徒歩が続く。いかにも売店の見た目をした売店で八朔生ジュースを買い、水分補給をした。ソフトクリームも捨てがたかったけれど、今はとにかく目がぱちぱちしちゃうくらいの刺激が欲しい。果実の生ジュースってやはり別格だな、甘酸っぱさが沁みる。絶景を眺めながら無意識にごくごくと飲んでいたら、2分ぐらいであっという間に完飲した。
〇千光寺 -残されたものと残っていたもの-
文学のこみちを通って千光寺へと向かう。道行く先々に大きな岩がごろごろと転がっていて、その一つひとつに尾道ゆかりの作家や歌人たちの作品が刻まれている。正岡子規、十返舎一九、松尾芭蕉、志賀直哉…知っている名前もちらほら。私が今見ている景色を、彼らも当時見たのだろうか。
最近、生きた証の残し方は人それぞれだなと感じる。歌にする人もいれば、メロディーは付けずに文字のみに留めて置く人もいるし、逆に文字には起こさず絵に落とし込む人もいる。別に一芸に秀でていなくてもいい。実際その人がその人として生きるだけで、十分この世界の構成要素にじんわりとした変化を与えうるものだし、それが苦味だろうと甘味だろうと、悲しむことはないと私は思っている。
ただ、こういう生きた証を「残せる」才に出会うとやはり感化されるというか、そういう存在を目指してみたくなってしまうな。
この散歩道が結構急勾配で足場が悪く、スニーカーのグリップがないと危なかっただろうなと思う。少し先を歩いていたご年配の夫婦と途中で歩幅が重なって、「暑いですよね〜」「でも綺麗な景色が時々見えると救われますね〜」とたわいもない会話を2,3個交わすなどした。この時、アゲハ蝶がやたらと私のまわりを飛んでいた。何かの前兆だったのだろうか、昔から綺麗な蝶を見るとちょっと幸せな気持ちになる。
階段を降りるという動作の繰り返しにそろそろ足首がぐらついてきそうな頃、千光寺裏門の看板が見えてきた。切り通しのような岩の壁の隙間を歩いていくと、お、突如鼻をくすぐる線香の匂い。
ようこそおいで下さいました、チーンとおりんを鳴らして出迎えてくれた女性。このお寺の住職の奥さんだろうか。お辞儀をして門をくぐると、赤い鐘楼が現れた。ロープウェイから見えたのはこの建物か。近くで見ると一層刺激的な赤だ。
ここが千光寺のメインかと思いきや違った。案内板によると本堂はもう少し右手にあるらしい。人の流れに沿って進むと風鈴の音色が聴こえてきた。ちょうど福鈴(ふうりん)まつりの期間中だったようで、たくさんの風鈴が絵馬のように並んでいた。これだけの数があるのに、不思議と耳に優しい涼しげな音色だ。
せっかくだから参拝していこうか。数分並んで、お賽銭を入れたところで身体がこわばった。あれ、お寺ってどう参拝するのが正解なんだっけか。最近神社続きだったから忘れちゃったよ!どうするどうする後ろに並ぶ人たちを待たせちゃいけないし間違った手本にもなってはいけない場面でこれはまずい……
後々調べたところ、どうやら無事正しい作法で切り抜けることができていたらしい。人間の記憶は侮れない、なんとか大人の体裁を保つことができた。
〇みはらし亭 -悪くて、良い習性ね-
まだまだ山の中腹。続く石畳を降りていくと大きな蜻蛉が2匹、目の前を横切っていった。アゲハ蝶の次は蜻蛉か、青と銀色の光沢が美しいな。蜻蛉は幼少期によく公園で捕まえて遊んでいたので、見るのも触るのも平気だ。むしろ私の中ではアゲハ蝶寄りの生き物である。
猫の細道へ続く道の手前、「みはらし亭」の看板が見えてきた。みはらし亭は宿泊施設も兼ねているらしく、入口らしきものが複数あって一瞬迷ったが、カラカラと引き戸を開けると空いてる席へどうぞと案内された。その席はなんと海に向かって開けた絶景席、目の前には沢山の本が並んでいる。本読みながらくつろいでねってことですか、最高です。
何を頼もうかなとメニューに目を通す。ジュースはさっき飲んだしな〜ごくごく飲めるやつもいいけど、時間かけて飲むようなやつ、舌に残るやつがいいかな。よし、珈琲にするか。すみませーん。えーと、……ビアカクテルの八朔ください。
ビアカクテルという単語を初めて口にした気がする。私は普段全くといっていいほどお酒を飲まない。日々生きていてアルコールを欲することがまずない。全然珈琲で良かったのにさ、どうして私は今突然「ヤッパリコッチニシマス!」って路線を切り替えたんだろう。まあいい、慣れないところで慣れないことをするのはリスキーだが楽しい。悪くて、良い習性だ。
八朔のビアカクテル。
八朔といえば、私の祖母が八朔好きで、夏休みに遊びに行くとよく夕食後の食卓に八朔が出てきたな。それで言うと比較的幼い頃から馴染みのある果物だ。飲み物になると苦味が強いようで、たしかにビールとの相性は良いのかも。少しずつ飲みながらゆっくり過ごすには丁度良い。
普段お酒と縁遠い生活をしているため、昼飲みがどれほど至福で罪深いことなのかを知らずして今私は昼飲みをキメている。罪深いね〜。舌の奥の方に残る苦い余韻のおかげで落ち着いて本が読めた。読了こそできなかったが、続きが気になるので後ほど読んでみようと思う。『旧グッゲンハイム邸物語』という本だった。
時刻は15時26分。うだる夏の昼下がり。酔いの行き場を探して、これから猫の細道へと迷い込もうじゃないか。
つづく