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物語の欠片 濡羽色の小夜篇 6

-レン-

 鍾乳洞の広場を見上げながら、その場に居た面々は皆口々に驚きの声を上げた。洞窟の調査を始めて二日目の朝である。
 初日は、入口を決めて、最初の横穴の終わりまで電線を引いたところで調査を終えた。そして翌日、更に多くの土木師や戦士を引き連れてこの広場にやって来たのだった。今日はシヴァも、訓練場をスグリに任せてこの場に来ている。
「壮観だな。向かいの峰の内側がこんな風になっていたなんて。確かにお前の言うとおり、荒天の日の訓練には十分な広さだ」
「僕も明るいところで全体像を見るのは初めてなんだ。あの時は懐中灯しかなかったから。でも、うん、期待通りの場所だね」
 昨日引いて来た電線を今日はさらに伸ばして、広場内は現在多くの電灯で照らし出されていた。電灯ひとつをとっても、レンが使った夜光石の懐中灯より断然明るい。
 一番高いところは天井まで百フィートほどあるのではないか。周囲は百五十フィートくらいだろうか。三十人ほどの戦士ならば一度に訓練できそうな広さである。実際、今日ここに来ているのは戦士と土木師合わせて三十名強だが、全く狭さを感じない。
 一番の問題は、ほとんどの地面が水に覆われているという点だろうか。今は皆、宙を飛んでいる状態だが、訓練中ずっとこのままというのも困る。土木師たちも、まずは足場を組める場所を探しているようだった。
 地面からも天井からも、おびただしい数の氷柱のような形の岩が大小複雑な空間を作っており、時折、カーテンのような板状の岩も見られる。壁は、水が流れたまま凍ってしまったような不思議な模様を形成していた。平坦な部分は見当たらず、杭を打ち込めるような砂や土も無いので、足場を組むのも難しそうだ。
 上方には結構な数の横穴が見えており、あのうちのどれかが、レンが手を踏み外して落ちてきた穴なのだろうが、それがどれなのか見当もつかなかった。その時のぞくりとした感覚と、慌てて態勢を整えようとして軋んだ翼の感触のみを少しだけ思い出す。
「高さは百フィート弱、幅は一番広い部分で六十五フィート程度だな。今の訓練場よりはだいぶ小さいが、室内としては上等だ。これだけの建物を立てようと思ったら一年では済まないくらいの大仕事だからな」
 測量の報告を受けたらしきレンギョウが腕を組んで満足そうに周囲を見渡した。
「この後は、どういう工程を辿るの?」
「まずは班を幾つかに分ける。引き続きこの広場を調査して足場や的の位置などを設計する班、それから、この洞窟全体に本当に危険がないか、あるいはもっと便利な出入り口はないかを確認するために全部の横穴を調査する班を幾つか作るつもりだ」
「戦士はどのくらい必要だ?」
 シヴァの質問にレンギョウは、そうだなあと宙を睨むように答えた。
「土木師側は、広場を調査および設計する班は六名、それ以外は四名を三班。全部で四班だ。それぞれの班には予備人数が入っていて、交代で休みを取れるようにする」
「それならば、各班に二名ずつはつけたいから、最低八名だな」
「毎日そんなに来られるのか?」
「今は魔物も少ないし、雪もだいぶ少なくなってきたからなんとかなるだろう。レンは、アグィーラへ行くのはいつからだった?」
「三日後。何も無ければその二日後には戻るよ」
「何も無ければ、な。では明日からは、俺かスグリ、レンの誰かがこの場のリーダーとして同席。その他七名も順に回そう。若い戦士にもいい経験になる」
「そうだね。この洞窟について僕が憶えていることはもう全部レンギョウさんに話したから、必ずしも僕がここに来る必要は無いと思う」
「承知した。それじゃあその布陣で頼む。訓練場そのものの設計は誰に相談すればいい? レンか? それともシヴァか?」
「そこはレンに任せよう」
「え? いいの?」
「お前の理想の訓練場が、おそらくみんなのためになる」
「シヴァさん、ありがとう」
 レンは改めて周囲を見渡し、その複雑な空間の中に散らばった的を想像した。鍾乳石と鍾乳石の隙間を縫って的を射る訓練もできそうだ。荒天の時の代替の訓練場ではなく、これまでできなかったような訓練もできるようになる可能性に夢は膨らむ。

 翌日、レンが他の戦士たちが帰った後も残って訓練をしていると、その日初めて洞窟へ足を運んだスグリが訓練場へと戻ってきた。シヴァへの報告のためだろうと思い、構わず訓練を続けていると、しかしいつの間にか近くで声が聞こえた。
「スグリさん、気配を消して近づいたら危ないよ。誤射したらどうする?」
「お前に限って後ろに矢を放つことはないだろう」
「少しでも殺気を感じたら分からないよ。咄嗟に射てしまうかもしれない」
「おおそれは怖い」
 ちっとも反省していなさそうなスグリを睨んだが、レンも本気で睨んでいるようには見えないだろうと思って結局は笑ってしまう。
「それで、何?」
「凄い場所だな、あれは」
「鍾乳洞?」
「他にどこがある? 凄い迷宮だ。久しぶりにわくわくした」
「あ、スグリさん、もしかして横穴を調べる土木師たちに同行したの?」
「そうだよ。広場でじっとしているより楽しそうだったからな」
「あはは。スグリさんらしいね。今日調べた横穴は、どうなってた?」
「俺がぎりぎり立って進める高さだった。少し進んだ先に分岐があったんだが、片方は結局元の広場に戻る道で、もう片方は行き止り。ただ、その行き止りがちょっとした空間になっててな。土木師の奴らは、そこを仮眠所にできるかも知れないと言っていたな」
「へぇ。何人くらい寝泊まりできそう?」
「寝袋で雑魚寝だったら十人くらい眠れるんじゃないか? でもまあ、集団生活が嫌いな俺からしたらたまったもんじゃないけどな」
「任務なら大丈夫でしょう? とりあえず調査が順調そうで良かったよ」
「土木師の奴らがいちいち細かく測量したり、地質を調べながら進むから亀の歩みだけどな」
「うん、まあそれは仕方ない。全体図ができるのが楽しみだね」
「明日からは少しずつ資材を運びこみ始めるらしい」
「四つ這いで進まなきゃならないのにどうやって? 背負うの?」
「今日、貨車を幾つか運び込んだ。板に車輪がついただけみたいなやつだけどな。高さを出さずに物を乗せられて、四つ這いでも押すか引くかすれば前に進むだろう?」
「なるほど。賢い」 
「褒めてやる」
「何を? 僕は土木師を褒めたんだけど……」
「あそこからひとりで生還したこと」
 スグリは少しだけ真面目な表情をしてからにやりと笑い、続けて何か言いたそうなそぶりを見せたが、その後すぐには言葉を継がなかった。しばらく待ってから、代わりにレンが尋ねる。
「スグリさん、僕が墜落した時、真っ先に追いかけて川の中まで探し回ってくれたんでしょう?」
「まあな……」
「ちゃんと話を聞いたことがなかったけれど、どんな風だったの?」
「何のためにそんなことを訊く? 俺にとってはトラウマと言っていいくらい自分の不甲斐なさを突きつけられる出来事だったんだが」
「ごめん。思い出すのが辛かったらいいよ。でも、別にスグリさんが不甲斐ないってことは無いと思うけど……むしろ感謝してる。僕が知りたかったのは、僕はどの辺りまで流されたあと、あの鍾乳洞に落ちたのか、当たりをつけたかっただけだから」
 スグリは大きく溜息を吐いた。
「トラウマっていうのは冗談だよ。面倒だが、そんなに知りたいなら話してやる」
 スグリが話してくれたところによると、レンが墜落した直後、スグリはセージを近くの仲間に押し付けるようにして任せてレンを追ったそうだ。一瞬、自分も飛ばずに落下した方が早いのではないかとも思ったが、それではレンと同じ速度で落ちるだけだ。追いつくことはできない。最速で飛んだつもりだったが間に合わなかった。まだ二十フィート以上間があるところで、まずはレンを直撃した岩が落ちて大きな水飛沫をあげた、その後でレンは、その水飛沫に呑み込まれるようにして谷川へ落ちた。その大きな水飛沫もスグリの所までは届かなかったほどの距離だったという。
 追い駆けたスグリもほぼ直滑降だっただろう。追い風の助けを借りずに速度を出すのは難しいとレンは冷静に考えた。頭に、エルムが直滑降する美しい映像が浮かぶ。きっとあれが、直滑降する際の理想の翼の形だ。
「増水しているのは分かっていたが、流れの速さが読めなかった。同じ場所に飛び込むより、少し先で浮いてくるのを待ち伏せするのが良いと判断したんだ。しかし、その判断が誤りだった。お前はいつまでたっても浮いて来なかった。しびれを切らした俺は、ようやく、もしかしたら川底のどこかに引っかかっているのかもしれないと思って、川に入って付近の底を探し回った。結局最初に落ちた辺りまで戻りながら探したが、見つからなかった。その頃には、仲間がシヴァに知らせたらしく、他の戦士たちが集まってきていた。手分けして随分下流の方まで探したんだが見つけられなかったんだ。俺の、初動の判断が誤っていたせいだ」
 スグリは淡々と説明したが、反対にそれが、スグリが未だにそのことを気にしていることの証明のように感じられて、レンは申し訳ない気持ちになる。
「立場が反対だったら、僕も同じ判断をしたと思う。翼をつけたまま増水した谷川に飛び込んで、そんな風に探し回れるかどうかは自信が無いけど。だからスグリさんは凄いよ。それに、スグリさんの話を聞くと、もしかしたら僕は案外落下地点から近いところですでにあの鍾乳洞に落ちていたのかもしれないね。結果的に僕は生きていて、こうして新しい訓練場が手に入りそうなわけだし、すべては無駄じゃなかったんだと思うよ」
「お前なあ……」
 スグリが呆れたような声を出したところで、シヴァから声がかかった。確かに、いつも族長の家へ報告へ行く時刻をとっくに過ぎている。少しずつ日が長くなってきたとはいえ、もう辺りは薄暗い。レンは慌てて片づけをして飛行台へと向かった。
 スグリは、レンが片づけをするまでシヴァと話しながら飛行台で待っていてくれたにもかかわらず、洞窟の感想を伝えに一緒に族長の家へ行かないかというシヴァの誘いをあっさりと断った。そのまま族長の家へと向かうレンとシヴァに片手を挙げるだけの挨拶をすると、深緑色の翼は第七飛行台の方向へと消えていった。


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