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どのようにでも見れる世界を、自分はどう見て生きていくか。

4月15日(月)

お試しで日記まんまだし風

航空券とった。
上司に面談のお願いの連絡した。
朝ドラと光る君へ1話ずつ見た。
ニールセン北村朋子さんの記事を読んだ
イスラエル・イランの調べた。イスラエルがはじめに攻撃したときの理由、それ以前のそもそもがわからなかった。

■2つの世界

最近ずっと考えている、2つの世界

いつでもどこでもだれにでもあるはずの、愛と自由のよろこび
「自分らしく輝ける人生」というほど大袈裟でなく
動物を愛しく思ったり、会いたい人に会えた時、すごく気に入った服を着て歩く時、今日はなんだか気持ちいいなあってひとり思った瞬間、家に帰ってほっとした時。
日々のなかに普遍的にある、しずかで確実なもの

そういうものをただ書いたり、そういうことがあれば生きていけるって思う。なにかになることに焦ったりしないでいたい。

一方で、いつでもどこでもだれにでもあるはずの、愛や自由がないとしたら
それはどうしてなのか、なにをできるのかを考えて、できることをしたい

それぞれがそれぞれの人生や日常を思ったように生きたらいい、それだけだ、と思って、身近なそれぞれを尊重しながらわたしも自由に生きるねっていう方向と
パレスチナのことを知って、毎日報道を見ても語られ方がすごく偏っていることにどうしてだろうと思って友達と話したり、デンマークの主権者教育ってどういうものだろうって気になって調べたり、社会に溢れかえるわかりあえなさやジャッジの言葉から、どうしたら繋がれる言葉になるかなって考えたりすること

そういうぜんぶは、混ぜていいし、わたしは混ざった日常を送ろうと思った。
「矛盾してる。どうしたらいいんだろう」ってちょっと苦しかったけど、
どっちもしていいし、わたしはどっちもしたいと思った。ただし正直に自分のバランスで、批判や絶望に飲まれずに、愛をもって、つねに自分の手元からできることを、希望のある顔でやろうと決めた。

いつでもどこでも誰にでも、愛や自由、生きる喜びは必ずあるはずっていうことと、
そうであるはずの世界が現状そうじゃないということも、
どっちも本当だと思って生きていこうと思った。

現実はひとつじゃなくて、みんな見たい世界を選んで生きている。わたしはどうしよう?と悩んだ日々からちょっと抜け出せたから、ぐんぐん生きよう。

■言葉

究極、言葉でどんな真理や結論を導き出しても、それが本当に紛れもなく、絶対に真実なのかはわからない。言葉と、そのものは違う。言葉でだけ、言うこともできちゃう。
そのうえで、こんなに言葉が溢れてる世界で、言葉にできることってなんだろう。
現実の目の前にいる誰かからの言葉じゃないからこそ、受け取れたものとかもあるし、本とかドラマや映画、好きなだれかのSNSの言葉という距離感だからもらえるものもある。

noteやその他のかたちは、なんのためにだれに読んでほしいのかすごい模索中だけど、このかたちは結構1年後とかもっとあとの自分に向けたアーカイブであり、銀色さんのつれづれノートみたいに、リアルタイムで変わっていく流れが見えるようになるかなあ!という願いを込めて。


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