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どこにいても、誰といても、自分の願いを叶えられるのは自分。

今はできない。ここではできない。
そういった判断を、言い訳だとか甘えてるとか、否定するのはしたくないと思ってきた。
自分次第という言葉があるけど、どこでもいつでも同じように同じことができるほど人は強くなくてもいいと思うから。互いに影響を受け合う生き物だと思うから。

だけど。
「ここだと絶対にこれはできない」と決まっているわけでもない。
それが自分を励ます答えなら、そっちを信じてもいい。

「ほんとはこうしたいけど、でもここだとそれはできない」

たいていの場合それも事実で、ある場所でできたことが別の場所では簡単にできなくなることも事実だと思う。
でもそうやって、ここではできないな、今はできないなとしてきた一回一回に、自分の大事なものはどんどん奪われてしまう。

職場の同僚が年度末で退職することがわかった。

でもろくになにも話さなかった。

"みんなもそんな感じじゃなかったし。"
"今日やらなくちゃいけないことがこんなにある。利用者さんに関わることだから後回しにはできない。"
"残業2時間でやっと終わったんだから、話してる時間なんてやっぱりなかった。"
"人が一人いなくなることに対しても、やっぱりここはそういう場所なんだ。悪いとは思わないけどそうなんだ。これがここのやり方なんだ。"

忙しいから何も思わないの?
忙しいから、何にも話せないの?

いくらでも、これで正しかった、これしかできなかったと思い込むための根拠はある。

でもそうやって諦めたことが本当は悲しかったなら、どんな事情があったって、自分がしたかったようにしたらよかったんだ。

もちろんやめるというその人の決断になんの批判もないし、何も言われない方が良かったのかもしれないし、何かを言うのが正しかったと思ってるわけじゃない。

でも本当は、そこで少しはちゃんとその人に心を向けたかった。
それを聞いた自分の気持ちに素直に動いてみたかった。
そう思うなら、どんなにそれがこの場所では難しいと思ったって、とにかくそうすればよかったのかもしれない。

諦めるのは自由だし諦めたっていい。でもこうやって、一つずつ、じぶんのいのちを生きること、自分の意思で生きる瞬間を奪われていく。失ってく。それがすごくよくわかったから。
こんなのってどうなの?って心の中で批判して自分は違うって思っていたはずが、結局同じことになってた。
「〜〜のせいで」って押し付けてるつもりで、いつのまにか自分の心を、ちからを、それに奪われてる。

言い訳しちゃだめとは思わない。
諦めるのも自由。
だけど自分のために、絶対に諦めない自由もある。
どうせ苦しいなら、自分が信じた道の方がいいかもな。
信じたようにやってみて、やっぱりだめだってなったら次の道に行けばいいんだから。
ただどんな道にしろ、自分に正直にいること。そこにだけは真剣でありつづけたい。


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