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「ここにはないけど、見てみたい。」

久々に11時間も寝た。今日は曇りと思っていたのに、えいやっとカーテンを開けたらきれいな水色の空だったので飛び起きた。

好きなだけ、体がほしいだけ寝て、起きて、起きたらやさしく晴れていて、あと何分って急がなくていい。追い立てられるようにタスクをこなしていくのではなくて、「今日は何しようかな」って自分で決める。考える。

これだけのことがこんなに大事なんだ、こんなに満たされた気持ちになるんだなあ。
久しぶりにゆっくりと、昼間の自分の部屋を見渡す。なんだかいろいろ溜まってる、掃除しなきゃなあなんて思いながらも、自分の世界に帰ってきた!という喜びがひしひし。

さて、でもなんだか、休みの日の自由に心躍るだけじゃない、その奥の方にもっとわくわくするなにかがある…と思っていたらそうだ、めちゃくちゃ楽しい夢を見たんだ。

禁断の夢の話…。夢の話は「へえ」しか生まないと、大好きなドラマ『カルテット』の家森さんも仰っています、、。でも、夢の話というか、夢がおしえてくれたことがすごく重要だと思ったのでその話です。

夢の中で、明らかに遠い存在の好きな人と話してた。「推し」というテンションではなく、尊敬している、憧れの音楽の人。
夢の中でその人と、さらに別の好きなものの話をして大笑いしてすごく楽しくしていた。それでわたしはものすごくほっとしていて、その「ほっ」が起きても続いてた。

ほっとしたのは、ほんとにあるんだ、と思えたから。
ほんとに好きだと思う人と一緒にいること、
ほんとに好きなものを心からとっても好きでいること、
自分がいたい自分でいて、だれかと心から楽しいって気持ちになれること。

そういうことって、ほんとにあるんだと思えたことに、ものすごくほっとした。

そんなのないんじゃないかって、なんでそう思っていたんだろう。わたしはわたしの感性でいて、それでものすごく楽しかったり、分かり合えたりする。そんなのは望みすぎているというか、なんでかはわかんないけどでも、きっとすごく難しいことなんじゃないかと思ってた。

生きているといつのまにか、これしかないと思えてしまうことがあるみたいだ。
一度「今」に慣れてしまうと、たとえなんとなく始めたことだとしても、終わりをつくることがとんでもないことのような気がしてしまう。明日も今日と同じようにすることに「決まってる」と思えてしまう。
でも、住んでる場所、働く場所、一緒にいる人、話す言葉、全部全部、これしかないなんてことはない。「決まって」なんかいない。

だからこそ、今ある日常だって、ずっとこのままな気がしたって絶対に変わってしまうんだから大切にしたらいいし、今ここにはなくても見てみたい世界は、こんなふうに笑いたいとかこんなふうに出会ってみたいとか、簡単に諦めちゃだめだ。

毎日の流れに流されているといつのまにかそんなの無理と思ってしまうけど大丈夫。
休みの日だってだけで、自分の部屋から、いつもは見れない昼間の空を見たり、夢が叶う夢を見たりするくらいのことで、ここにはないけどでもあるもののことをちゃんと信じられる。
自分自身が、自分のみたい世界を信じてるかどうかってほんとに大切。だから夢だって偶然だって、その世界を信じるためこヒントはいくらでも拾ってしまおう。




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