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そうだ、思考を整理しよう。


外山滋比古著「思考の整理学」


「思考の整理学」を読んだ。

考えるというのは人間の武器。考えることで何かを解決し、困難にも打ち克てる。思考はとても大事なことなのに案外整理されていない、この本を読んだ気づきをまとめます。

例えばこんな風に思考と一緒に教育も語られています。文庫サイズだから思考が行き詰まったらときどき読み返してみる。

・脳に整理させる時間を作るために、アイデアは寝かせる
・答えのある教育=グライダーではなく、自力で飛べる飛行機を目指す教育


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「教え惜しみ」をしない教育と受け身の学習者


昔の教育者が良かったのは「教える」が有能でなかく、「教えて惜しみ」をしていたからだそう。学ぶ側にとって環境が整い過ぎている現在はどうなのだろうか。


昔の塾はすぐ教えるというようなことをしない。むしろ、教えるのを拒む。薪を割ったり、水をくませたりする。なぜ教えてくれないのか、当然不満をいだく。これが実は学習意欲を高める役をする。そのことをかつての教育者は心得ていた。あえて教え惜しみをする。


いまの学校は、教える側が積極的でありすぎる。親切でありすぎる。何が何でも教えてしまおうとする。それが見えているだけに、学習者は、ただじっとして口をあけていれば、ほしいものを口へはこんでもらえるといった依存心を育てる。学校が熱心になればなるほど、また知識を与えるのに有能であればあるほど学習者を受け身にする。

極論学びたいときに学べばいい。「リカレント教育」なんぞと言われなくともひとは死ぬまで学び考える生き物なのだ。


思考の発酵


プレゼン資料も予定の3日くらい前に仕上げて、翌日読み返してみると改善よりもいいアイデアが浮かんだりする。これは頭が整理されているから、寝かすという予定を組んでおくとアウトプットは俄然精度が上がる。

フランスの文豪、バルザックは発酵したテーマについておもしろいことを言った。‘‘熟したテーマは、向うからやってみる‘‘


寝させておく、忘れる時間をつくる、というのも、主観や個性を抑えて、頭の中で自由な化合がおこる状態を準備することにほかならない。ものを考えるに当って、無心の境がもっともすぐれているのは偶然ではない。一晩寝て考えるのも、決して、ただ時間のばしをしているのではないことがわかる。


倉庫にだって整理は欠かせないが、それはあるものを順序よく並べる整理である。それに対して、工場内の整理は、作業のじゃまになるものを取り除く整理である。この工場内の整理に当ることをするのが、忘却である。


自分の日課にしているのは、前日に作った資料を翌日の自分にプレゼンするというやり方。明日の自分は他人くらいのつもりでアウトプットしておくと新しい自分がまたいいアイデアを考え付いてくれるだろう。


一般化して、なるべく、普遍性の高い形にまとめておくと、同類のものが、あとあとその形と照応し、その形式を強化してくれる。つまり、自分だけの‘‘ことわざ‘‘のようなものをこしらせて、それによって、自己の経験と知見、思考と統率させるのである。



明日の自分に任せてみる。


このnote記事も何回かに分けて書いた。つまり発酵させたアウトプット。

どの時点で書き終えるかは自分で判断しないといけないが、発酵させることで記事の奥行き、立体感ができると思っている。この本は文庫版なので思考が行き詰まったときにはまた手に取りたい一冊である。


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