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所有の感覚の違い

今日は事務所で会議があった。
会議と言っても約1時間、結局バラバラと参加者が来たから、何時開始だったのかは良く分からなった。


他の部署の人も来るような会議で、主催は私がいる部署の様。

その時に同僚2人から「ペン貸して」って言われて、それぞれにペン2本を貸した。
自分たちで人呼んでる会議なんだから、ペンくらい持ってきなよ、って思ったけど、そんなことにはもう慣れた。


会議が終わって、部屋に戻ろうとしたとき。

あ、そういえばペン、と思い出して、同僚に
「俺のペンどこ?」って聞いたら
「あれ、どこ行ったかなー」とだけ言って、帰っていった。
それを聞いていた他の同僚は
「参加者結構いたから誰か持って帰っちゃったかもね~」
「どこかにあるといいね~」って。

全く意に介さず。悪気もなく。借りたことも忘れたのかと思うくらい。

部屋に1本はその辺に転がってたから回収したけど、あと一本がない。
あれ結構お気に入りだったのになあ…と思いながら
部屋に帰る。




インドネシアに来て良く思うが
日本とは「所有」の感覚がなんとなく違う気がする。


今回のペンの件もそう。
日本人だからかなのか、人からものを借りるとなんとなく責任感がある。
壊さない様にしないととか、失くさない様にしないと、とか。
そういうものが多分全くない。
ただ今目の前にあるものを使っているだけ。
たとえ借りたものだとしても使い終わればそこに置いておく。
何も言わずに人のものを使うことももちろんある。


事務所には個人の机というものがない。
というよりも人の数に比べて場所・机が圧倒的に少ない。
(一方でイスだけはいっぱいあるから問題まあ問題ない。)

自分がいるのも申し訳なくなるくらいなんだけど、一応最初に
ここを使ってね、と言われた机を使わせてもらってる。
それでもトイレとかで離れると、誰かが俺の席に座ってる。
PCも荷物も置いてあるのに、何をするでもなく俺の席に座ってる。
さっきまでそっちのイスに座ってたじゃん!
といつも思うんだけど、何の理由もなくなぜが座る席を変えている。

戻ってきても、ずっとそこにいる。
いつもいる場所や荷物が置いてある場所
 =その人の場所
という概念もないらしい。



モノの所有の概念も、場所の所有の概念も、
日本とはちょっと違うように感じてる。
(日本が厳しすぎるのかも知れないけど。)
シェアの感覚と言えば聞こえはいいけど、
なんとなく気持ち悪く感じることも。

でも実は今は来たばかりで何もない状態だから
何かを貸してもらったり、助けてもらったり、
その感覚には逆に助けられることも多い。

イスラム教では喜捨の教えの影響なのか、
国民性なのか、
たまたま私の近くの人がそうなのか、
まだ良く分からない。


そういえばインドネシアでのおごりの感覚を聞いた時に、
例えば男女でご飯に行ったとして、
たとえ女性の方が収入が高ければ、女性がおごると言っていた。
収入が高い方がおごるんだそうな。



今回の件で、大事なものは貸さない様にしよう、
もしくは絶対返してね!ってちゃんと言うようにしよう、
そんな風に思った今日。


部屋に戻った後に「私が持ってたよー」と声をかけられて
結局僕のボールペンは戻ってきました。
良かった、いい文房具、こっちだとなかなか買えないんだよ。

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