見出し画像

孤独には慣れている、という誤解

今日は海外での生活について。
というか青年海外協力隊でインドネシアに来て、
生活面や自分自身で感じたことについて。


青年海外協力隊として海外に滞在することは
やはり留学や駐在で海外に滞在することと全く違う気がしています。

「責任ある仕事」というものは、大概の場合ありません。
これをやってくれというものもなく、これをやっておけばいいというものもありません。
自分で感じ、考え、それを拙い現地語を使って説明し、
時には理解してもらえなかったり、動いてくれなかったりしながらも
少しづつ賛同を得ながら地道に実行に移していく。
その繰り返し。
基本的には地方に配属されることになり、住環境も日本とは全く異なります。


そんな中での生活、特に到着したばかりの頃の生活は、
やはり大変なものがあるなあと実感します。
そして自分の弱さを、この歳になって痛感します。


任地での生活は孤独です。
頼れる人が近くにいない。
隊員が近くにいることもあるかもしれませんが、
基本的には活動はそれぞれで行い、その状況も全く異なります。


何か辛いことがあっても、気軽に相談したり愚痴を言う人がいない。


職場には同僚はいる。
でもこちらの語学力が足りないから、細かい説明をすることが出来ない。
日本には友達もいる。
でも生活している環境が全く異なるから、なかなか理解してもらいにくい。
協力隊の仲間もいる。
でも時差もあるしそれぞれの活動内容・環境も全く違う中で
不甲斐なさや申し訳なさが勝って、気軽にそれを吐き出せる人はほとんどいない。


大学の時は同級生がいて
会社では同僚や同期がいて
大体同じ境遇で考えることも感じることもほとんど同じ。
辛いことや悩むこともまあ大体同じ。
プライベートなことだったりは今までの自分を知ってくれている人に話せばいいし、
運動して忘れたり趣味に打ち込んだりして気を紛らわすことも出来る。

色々なものが日本とは違い、足りない、もしくはまだ知らない中で、
辛いことがあるとどうしようもなくなってしまう自分の弱さ。



「孤独」には慣れている。
日本ではそう思っていた。
特段毎週のように会う友達なんていなかったし、
彼女なんて社会人になってからも3年くらいいなかったし、
何より一人の時間も嫌いじゃなかったし。


でもそれは間違いだったみたいだ。
きっと「一人」に慣れていただけ。
本当の孤独というものは、今までは実は感じていなかったんだろう。


誰からも求められていない、
自分を理解してくれている人が誰もいない、
素の自分を出せない、
くだらない話とか愚痴を気軽に言う人がいない環境で
何か問題が起こると、だめになる。


本当に良くなかったな。反省している。


去年の夏頃、青年海外協力隊に参加しようと思った時に、
日本での先がなんとなく見えている生活よりも
20代後半という
行ったこともない地で、もがきながら感じて考えて、少しづつ行動していく中で、
出会ったことのない新しい自分に出会いたい。
そう思ってたんだった。



こんな風にして色んな自分を知って、
たとえダメなところでも目を背けずに、逃げずに、
でも無理に治そうとせずしっかり認めてあげながら、
その自分とのうまい付き合い方を学んでいく。


凹む時はとことん凹んで、
落ちるところまで落ちたら、あとは上がるしかないよね、きっと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?