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街も人も歴史が個性をつくる

先日出張のついでに石川県の金沢市を訪問してきました。

僕は大昔に一度だけ訪問したことがあっただけの土地。結構な都会くらいのイメージしかありませんでしたが、今回改めておじさんになって訪問してみると、歴史的な景観が見事に溶け込んでいる様に魅了されてしまいました。

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(引用:ほっと石川旅ネット

いわゆる景観を売りにしている上記の茶屋街などはもちろんのこと、街のいたるところに歴史的な建造物が残っているのです。

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(引用:TABIRIN

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(引用:nippon.com

歴史的な風景を売りにしている街は少なくありませんが、そのほとんどが一部の景観保全区域のみで、街全体が景観を維持しているケースは(もちろん京都・奈良などはありますが)多くありません。

戦火を免れたからこその町並み

 僕は戦国時代、幕末、昭和初期など戦いの歴史に強い興味を持っています。今回も加賀百万石の歴史に触れようと、歴史資料館を訪問しました。

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(引用:石川県立歴史博物館

すると、正直ちょっと拍子抜けというかなんというか。確かに文化財的なものは多く残っているのですが、戦にまつわる資料が驚くほど少ないのです。

理由は単純。金沢がこれまでの歴史上、大きな戦火に巻き込まれたことがあまりないからなのです。

金沢は、戦国時代に加賀一向一揆の拠点として金沢御堂(尾山御坊)が築造され、その周りに町がつくられたのが始まりとされます。その後、織田信長軍の佐久間盛政が御堂を攻め落としましたが、盛政は本格的な築城はせず、天正11年(1583年)に前田利家が入城します。以降、大規模な城づくりが行われ、加賀、能登、越中を合わせた加賀百万石の城下町として繁栄しました。明治4年(1871年)の廃藩置県後は、一時を除き、県庁所在地として行政、文化、経済の中心として発展を続けています。
幸いにも戦災を免れた金沢には、金沢城や大名庭園である兼六園、そして寺院群や茶屋街、用水網など、歴史的な建造物やまちなみが今なお残っています。 
(引用:金沢に住もう。

戦災を免れたおかげで、昔ながらの街の区画を維持したまま、多くの歴史的建造物がそのまま残っている。歴史的な偶然・経緯があってこその金沢の街並みであり、特徴となっていたのです。

戦争に巻き込まれなかったために、古き良き街並みが残っている。単なる偶然なのかもしれませんが、そのおかげで今の金沢の独特の魅力が生まれています。過去と現在が繋がっているからこそ、言葉にはできないような積み重ねられた深い魅力をこの街から感じるのです。

街も人も歴史が個性を作り出す

戦果を免れたからこそ今の街並みが残る。過去と現在が結びついた結果として金沢の独自の魅力が存在している。

この事実を知り、思ったのは「これは、街も人間同じなんだなぁ」ということでした。

年月の長さは全く違いますが、街も人間も同じようにこれまでの歴史をベースに今が出来上がっています。これまでの起こった出来事や経験の積み重ねで今の個性や特徴が生まれているのです。

これまで積み上げてきた個性をよそに、その場限りで新しいものを取り入れても様になりません。

例えば街なら歴史的な街に大規模の商業施設を誘致したところで、街の個性に合わずに景観を損ねるばかりか、誰も訪れなかったりします。個人なら身の丈に合わない格好や振る舞いをしてみたとしても、どこかのタイミングでボロが出てしまうように、これまでの歴史(個性)が非常に重要なのです。

これまでの自分を大事にしよう

キャリア相談や研修を生業としている僕の元には、過去をリセットしたい、自分をやり直したいという相談が数多く届きます。

これまでの経験を捨てて、新しいことに取り組みたい。その気持ちはとてもわかります。しかし、これまでの経験があるからこそ、今の自分も存在するのです。

過去を投げ出すこともできませんし、一朝一夕で生まれ変わることなんて不可能です。

だからどれほど今の自分が嫌だとしても、その自分を受け止める必要があると思うのです。

表面的に別の自分を演じるのではなく、せっかく培ってきた自分らしさを生かして、これまでの自分を受け止めて修正していくことこそが大事なのだと僕は思います。

随分と取り留めのない文章になってしまいましたが、金沢の町並みに思ったことを書いてみました。


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