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サルにもカニにもなりたくなかった話。

お遊戯会にむけて役決めをするため、保育園の先生は黒板に可愛いサルやカニを描いた。先生はお芝居風にストーリーを教えてくれて、「みんなどれになりたいかなぁ?」と、わたしを含む子供たちにきいた。

周囲の子供たちが「はーい!」と、元気よく手をあげ続々と役が決まっていくなかで、わたしは一人泣きそうだった。
どの役もまったく好きになれなかったのだ。

・カニの親:大切な柿は奪われるし、子供の前で暴力をふるわれて可哀想。
・カニの子供:目の前で親がいじめられるなんて悲しい。
・サル:いじわるな猿の役なんて、絶対にやりたくない。
・蜂、臼、栗:よってたかって猿を痛めつけてズルイ。
・うんち:うんちになるなんて恥ずかしい。

どうしよう。ちょっとでも好きになれる登場人(?)物はないかな…でもどれも嫌だ。

考えているうちに、わたし以外の子供たちの役が決まって、同じ役の子同士で話しあう時間になった。

「あれ? いちこちゃん、どうしたの。手をあげなかった?」
先生が気づいて、他の子の視線がわたしに集中した。
みんなに見られるなか、わたしはまだ役を決められなくて、堪えていた涙が溢れた。

先生はわたしを抱っこして、「大丈夫大丈夫」と背中を撫でた。
「なにが悲しかったの?」と優しく問いかけられても、答えることができなかった。「どの役も嫌だ」と言ったら、先生や友達を悲しませてしまいそうで。

黒板の前で先生は、もう一度あらすじを話してくれた。
「カニさんは柿を育てていて…、おサルさんはそれが欲しくなっちゃたみたい」
やっぱりどの役も好きじゃない。でもお遊戯会にでないなんて、きっと許されない。

考えて考えて結局私は、直接の被害者でも、直接の加害者でもないカニの子供を選んだ。

◇◇◇

大人になった今、もし会社の行事かなにかで「さるかに合戦」を演じろと言われたら、正直どの役でもいい。
うんちだろうが、サルだろうが、与えられた役割を面白おかしく(且つ、さっさと終えられるように)こなすだろう。

大人になって生きるのが楽になったなぁと思うけれど、同時に、あそこまで強固な「嫌」を持てなくなってしまったことを少し寂しくも感じる。

◇◇◇

自分が特別繊細な子供だったわけではないだろう。
他人には理解されない「嫌」を、子供達はみんな持っている。

スーパーなどで「いやだあぁぁ」と泣き叫び転げ回る子供達をみると、「君だけの嫌を持てるなんていいなぁ」という気持ちと、親御さんに「お疲れ様です」と言いたい気持ちが同時にわきおこる。

子供にも戻れず、誰かの親にもなれないまま。
今日もわたしはふらふらと生きている。

お読み頂き、ありがとうございました。 読んでくれる方がいるだけで、めっちゃ嬉しいです!