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リメンバー・ヒロシマ/じょにー・リメンバー・カド

今回は別の話題を書こうと思っていた。
しかし、ニュースを見て気が変わった。

G7の首脳たちが記念写真を撮った広島の平和記念公園。
今は美しい緑と石畳に包まれたあの場所は78年前まで、まったく違う光景だった。
中島と呼ばれ、広島最大の繁華街だったのだ。
ヒットしたアニメ映画「この世界の片隅に」では、かつての写真や旧住民の証言をもとに再現された当時のまちの様子がリアルに描かれている。

1945年8月6日、米国が投下した原爆で広島は壊滅した。
爆心地に近かった中島地区はすべてが焼け落ち、4000人以上といわれる当時の住民のほとんどが犠牲になった。
戦後、中島のまちは再建されることなく、平和都市をめざす広島のシンボル空間として公園化された。

私が広島で記者をしていた時、ある被爆者の男性がこんなエピソードを教えてくれた。
首脳たちが花を捧げた原爆死没者慰霊碑の前はかつて、未舗装だった。
広島市が石畳にしようと計画した際、男性らを含む地元の日雇い労働者らが反対運動を起こした。
平和記念公園の土の下には、今も多くの人たちが眠っている。
その上を石で塞いでいいのか。そんな訴えだったという。

13年前、広島市が主催する賞の受賞が決まったオノ・ヨーコさんをインタビューした。
「広島から発したい言葉は」と私が問うと、彼女は即座にこう答えた。
「リメンバー・ヒロシマ、ナガサキね」
「だって、覚えていない人、多いでしょ」と。

偶然、このインタビュー記事を読んだ長崎出身の作詞家、なかにし礼さんは2年後、「リメンバー」という曲を書いた。被爆国・日本から世界に発信したい言葉だったと思ったのだという。
後年、とある席でなかにしさんとお会いする機会があり、「あなたの記事のおかげですよ」といわれ、うれしかった。

rememberは、「re」(再び)、「memor」(心に留める)が語源だという。
G7サミットのニュースを見た人たちに一人でも多く、広島を心に留めてほしい、と強く思った。
一つのまちとそこで暮らしてきた人々を一瞬で消し去る。
そんな恐ろしい兵器が今や、世界中に溢れていることも。

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