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本を読むということ

日常においてやはり読書というものは欠かせない。
それはなぜか、といえば「思考を止めることなく、深めることができるから」かもしれない。

例えば自分に対して敵意を持って接してくる人がいたとする。
そんな時、自分だけのものの見方、価値観しか持っていないのであればその相手をただの「敵」として認識し同じように敵意を持って接してしまうかもしれない。
でも実際には、その人にも「自分なりのものの見方」「正義」があり、それによって行動を決めているのだろう、と思う。もしかしたら、「その日嫌なことがあってイライラをぶつけてしまっただけ。あとから反省した」なんてことや「その人がされたら許せないことを自分が無意識のうちにしていた」のかもしれない。
ここで言いたいのは、どうしても全ての情報を加味して判断することは難しく、主観に偏ってしまうということである。

基本的に、人の思考は思い込みに溢れている。ただ食べて寝るだけの生活の中では、そんな思い込みに気づくことはできないなと思う。

本はそういう意味で、自分の思い込みを気づかせてくれるものではないか。読書を習慣にしている人の多くは他者の考え方に柔軟だ。少なくとも否定をすることはなく、私が一つの考えに凝り固まってしまっている時には「こんな見方もあるよね」と新たな視点をくれる人もいる。そのような人たちをやはり尊敬するし、おこがましいけれど私もそんな人になりたい、とも思う。

少し話時は変わるけれど、読む本は雑多である方が良いように思う。なぜなら、一つの作家、ジャンルの本ばかり読んでいたら触れる思考の種類はどうしても似通ってきてしまうからだ。
ジャンルというのはただ「仕分けてみた」という、勝手に作られた括りのようなもので実際には全ての学問・洗練された思考というものは一貫していることが多い。

つまり、雑多に本を読んでいるつもりでも最終的には「作者の大切にしている考え方、思考法が似ている」なんてことが往々にしてある。

だから読書においては、自分が直面する問題について直接的な「一つの答え」が書かれているものを読んでもいいし、一見全く関係のない本を読むのも同様に効果的だと思う。

話があっちこっち行ってしまったけれど、読書は本当に素晴らしい。作者が時間をかけて作り上げた考え方にいつでも、何度でも触れることができる。今は大学生で時間があるからこそ読書に割ける時間も大量にあるけれど、社会人になっても積極的に本に触れ続けたいと思う。

本日も、最後まで読んでいただきありがとうございました!素敵な1日を。

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