見出し画像

悪魔の動揺

 私は、悪魔である。
 好機と再生を与える。
 人面の生皮で作ったかばんには、かつて男「だったもの」が入っている。

 真昼間の住宅街である。
 それぞれがそれぞれの箱で学び、あるいは職をこなしている時間帯。住宅街に人の気配は少ない。
 白と象牙色の身なりをした男が、ややうつむき気味に歩いている。

「私は、悪魔だ。お前に好機と再生を与える」
 早足ですれ違った男に追いつき、耳元にささやく。
「え?」いかにも迷惑そうな表情で、男は呟く。「興味ありません」
 男は焦っている。表情にこそ出さないものの、早く安全圏へと逃げ切りたいと思っている。
 逃げる理由が、男にはある。

 路地を曲がる男。その先には私が立っている。男は後ろを振り返る。いつの間に追いつかれたのかと考える。
 大きく避けるようにして、私を通り過ぎて路地を曲がる。その先には私が立っている。動力源の違う二匹の犬を、両側に従えている。
 男は後ろを振り返る。顔をしかめる。
 路地は奥行きを失い、塀も家も空も、凹凸のない灰色に塗りつぶされている。
「私は、悪魔だ。お前に好機と再生を与える」
 私は男に告げる。

 暗色の絵の中に紛れ込んだかのような光景。怯えた目で私を見る。私のことを死神だと思っている。
「神ではない」私は男の脳内に返答する。「私は『魔』だ」
「な、なんですか、それ」
 男は動揺している。
 それもそのはず。男は悪行を働いていた。強盗や、人殺しや、詐欺ではない。
 たすき掛けにした男のかばんがもぞもぞと動き、中から私の子犬が顔を出した。
 驚いた男は犬を引っ張り出す。その勢いで中から三枚の下着が飛び出す。
 下着泥棒である。
「て、天罰ですか」
「違う」私は言う。「与えるのは罰ではない。好機と、再生だ」
 意味こそ理解していないものの、男は少し安堵する。悪い言葉ではないからだ。
 何故男が選ばれたのか。
 運である。こういった人種は、時に強い運を持っている。幸運というものだ。世界は平等ではない。

「何だか知らないけど、いらないです。いりません」
 男は申し出を断る。
「選択肢という言葉は、二つ以上に道が分かれている場合にのみ、使える」
「どういう意味ですか」
「断る権利は与えていない」私は言う。「与えるのは、好機と再生だ」
 男は憤る。自身の悪行を棚に上げている。
「じ、じゃあ、さっさとくださいよ。急いでるんです」
 わけはわからないが、さっさとやり過ごそう、と考えている。

「人生を好転させるために、必要なものを言え」
 問いかけに、男はのろのろと頭を回転させる。
 男の思考を読む。下品なイメージが淡く現れては消える。
「口に出す必要はない」助け舟を出す。「考えがまとまったら、それだけを念じろ」
 言葉にする必要がないとわかるや否や、男の想像は何倍にも膨れた。金欲・性欲・承認欲、あらゆるモノを手にした自分を夢想する。生存欲などは片隅にもない。

「目を閉じて、念じ、目を開け」
 考えのまとまった男に指示をする。
 男は言われるがまま、目を閉じ、念じ、そして開いた。
「鞄を開け」
 鞄を開けた男は驚愕する。隙間なく詰まった札束を見て、狂喜する。
「好機」である。
 掘っても掘っても出てくる札束。男はわかりやすく、金を欲した。
 掘った先に手に触れる硬い感触。爆発物。男はわずかに破壊も欲していた。
 目を見開き、爆発物を取り出す男。札束が引っかかって、緑色の配線が切れる。

 男は爆発した。 
 結膜の白色、虹彩の黒色、内蔵の桃色、血液の朱。
 色とりどりの花火のように弾けて、男は四散した。
 そして、かつて男だったその欠片たちは、地面へ着地する直前に、生命を宿したかのような色艶のある女性下着へと生まれ変わった。
「再生」である。

 パチンと指を鳴らす。魔空間がぼろぼろと剥がれ、先ほどまでいた住宅街の風景が帰ってくる。
 いぶかしげな表情の制服警官が歩み寄って来て、私に職務質問への対応を求める。

 私は、悪魔である。
 好機と再生を与える。
 人面の生皮で作った鞄には、かつて男「だったもの」が入っている。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?