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大竹伸朗と「別海」の酪農生活

NHK「クローズアップ現代」をたまたま見ていたら、テーマが「朝一杯の牛乳が消える!? 酪農危機の知られざる実態」。興味を引かれ、見続けていると、ほんの少しだけだったが、北海道・別海の酪農家が映った。

現代美術に親しんでいる者の中には、「別海と言えば大竹伸朗!」と思う人も結構いるのではないだろうか。大竹さん独自の書体による「別海」の文字を施したTシャツなどもミュージアムグッズとしてかなり以前から販売されており、「別海=大竹伸朗」というつながりは、瀬戸内国際芸術祭などを中心に、愛好家の間でじわりじわりと浸透しているように思う。

大竹さんは高校卒業後、別海の牧場に住み込み、牛乳を搾るなどの仕事を1年間経験したという。大竹さんの代表的な表現手法の一つはコラージュだ。さまざまな場所で収集してきた物を多くのスクラップブックに貼り付けたり、立体物にしたりしている。現在東京国立近代美術館で開かれている「大竹伸朗展」(2月5日まで/愛媛、富山に巡回予定)にも、コラージュをコンセプトにした作品がたくさん展示されているが、その中でも代表作の一つと思しき《モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像》という立体作品を見ていたら、別海農協の看板が貼り付けられていた。この作品は、2012年にドイツのカッセルで開かれた著名な芸術祭「ドクメンタ13」の出品作である。

東京国立近代美術館「大竹伸朗展」の展示より《モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像》(2012年) 筆者撮影
東京国立近代美術館「大竹伸朗展」の展示より《モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像》部分(2012年) 筆者撮影

別海で生活した1年間は、豊かな経験を重ねてきた大竹さんの人生の中でも、結構なインパクトを持っていたのではないかと思われる。朝4時に起きて4時半から3時間乳搾りをする毎日を続けていたという話をご本人から聞いたことがある。画家になる経験にと、住み込みで飛び込んだのだが、忙しくて絵を描く余裕はほとんどなかったそうだ。しかし、こうした経験が糧となって、今の素晴らしい大竹さんがあるに違いないのだ。

NHKの放映内容は、輸入飼料の値上がりなどのさまざまな理由から北海道の酪農家の多くが経営危機に陥っており、このままでは、日本人は牛乳を普通に飲むことができなくなる可能性があるということを訴えた内容だった。深刻な思いをいだきながら番組を見ている中で「別海」が出てきたときに、すぐに大竹さんのことを思い出したというわけだ。

もちろん、大竹さんはこのような現状を予測して酪農の仕事をしたわけではなかっただろうし、2012年の作品に別海の看板をコラージュ素材として貼り付けたところにも、たとえば酪農の大切さを表現するといったような意図はなかっただろう。

確実に言えるのは、大竹さんに美術家になるための素晴らしい体験をさせてくれた北海道の酪農界が危機的な状況にあるということだ。美術家になるための体験やその体験に対して持つ価値観は、もちろん人によってまったく異なるはずだ。しかし、別海、ひいては北海道の酪農がなければ今の表現の〝 大竹伸朗〟は存在せず、その表現を美術館や芸術祭で受け止める数多の鑑賞者の体験も生まれなかっただろう。単に作品に看板が貼り付けられているというだけの話ではない。絵を描くことから離れて酪農に必死だった1年間の存在は、おそらく表現のありようにもすごく大きな何かをもたらしたのではないかと想像できるのである。

もはや都会で暮らす人々の多くは、酪農のような体験をすることはないのではないだろうか。しかし、その都会の人々の暮らしはまた、酪農家たちに支えられている。大竹さんの作品の中にごく自然ににじみ出たとも言える別海の表現は、その存在を鑑賞者の心に静かに刻み込むだけでも、何か大切な役割を果たしているように思う。

「別海」Tシャツを知人が着ているところ(2016年8月撮影)。よく見ると、マス目の中に牛が2頭あしらわれている。胸面には、大竹さん独自の書体による「別海」という文字がプリントされている。

◎音楽之友社運営のウェブマガジン「ONTOMO-mag」『「物」と「音」をスクラップブックに貼り付けた大竹伸朗』と題した記事を寄稿し、本記事で取り上げた作品についても触れております。ご興味が湧きましたら、下記からご笑覧ください。

東京国立近代美術館「大竹伸朗展」に関する情報はこちら。


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