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農家の自分が来た道③名栗編~何ができるか→何がしたいか~

■奥日光から埼玉に戻る

奥日光から久々に埼玉にある実家の戻りました。
奥日光時代も時折帰ってはいたので、懐かしさはありませんでしたが、ちょっとホッとしたのもの事実で、実家という存在はありがたいですね。
さて、埼玉に戻った私が次にお世話になったのは飯能市にある「名栗げんきプラザ」という様々な体験ができる施設です。
以前は名栗少年自然の家と呼ばれていたそうです。
そこで事業部門を担当していた「NPO法人国際自然大学校」の現地スタッフとして働くことになりました。
いわゆる自然学校と言われる場所で活動している団体で、自然体験を通して主に子どもたちの社会性や人間性を伸ばし、生きる力を育むことをミッションにしていました。(※詳しくはHPをご覧ください)
今までは自然についてどう人に伝えていくかを考えていましたが、今度は自然の中でどう人間を育てていくか、より人間の内面に寄った方向からのアプローチになりました。

■名栗げんきプラザでやってたこと

ここでは学校関係や地域で活動する団体、個人の方までいろんな方が訪れていました。
中でも林間学校で利用する学校関係の団体が主でした。
自然の素材を使ったいろいろなクラフトづくり、うどん・ピザ・カレー作りなどのアウトドアクッキング、火起こし体験や川遊びなどの野外体験、プラネタリウムの操作と解説…本当にたくさんのアクティビティがあり、それらをサポートしたり、実際に指導するのが仕事でした。
また子どもキャンプ、カヌー体験、自然ハイキングなど独自でいろんなイベント企画もやっていました。
団体生活ができる宿泊施設でもあったので、そちらのサポートをすることもありました。
こんなにも1施設でたくさんの体験が用意されているのは本当にすごいし、それができるスタッフの能力はとても高いなと改めて思います。
お近くの方はぜひ遊びに行ってください!
日帰りでもいろいろと体験できます。

ここで働く中で以前より求められたのは、オールマイティーにやり抜く力だったように思います。
お客さんとのやり取りからアクティビティ準備、受け入れ、指導、実践、片付け、そして事業企画と広報。
それでも実際に私ができて、やらせてもらっていたのはその半分もありませんでした。

■子どもキャンプ

日々の業務の中で一番印象に残っているのはキャンプです。
特に子ども向けのキャンプは毎回なかなかの疲労感が襲いました(笑)
何十人にも子どもたちが1泊~3泊して活動し、ときには1週間なんてのもありました。
ほぼ初めましての友達同士でたくさんのチャレンジをし、寝食を共にします。
いつもはやってもらうことも自分でやらないといけなかったり、ときには我慢しないといけないことも出てきます。
子どもたちにとってはちょっとした冒険です。
そんな子どもたちをサポートするにはたくさんの人の力が必要で、名栗にはボランティアスタッフがそれを支えていました。
子どもたちの中心に入り、生活を共にします。
子どもたちを盛り上げ、とことん遊び、一緒に夢中になって楽しむ。
わかっていたつもりだったけど、子どものパワー、エネルギーて本当にすごい!
圧倒され続けました。
たくさんの子どもの心の動きを近くで感じることができた、貴重な経験でした。

■自分は何ができる?

数々のキャンプ事業のスタッフとして関わることで、子どもたちが挑戦し成長する姿、人との関わりから学ぶ姿を見れたことはとっても嬉しかったです。
間違いなく、自然の中での体験は人間を大きくさせてくれると、実感しました。
ただ、それと同時にどんどん自信を無くしていく自分もいたのです。
奥日光で自然と人を繋げる活動をしてきて、未熟ながらも少しは自信がついていた部分もありました。
それがどうでしょう。
ボランティアの皆さんの方が、子どもたちを楽しませることができ、心の動きをきちんと読み取ることができるのです。
名栗のボランティアの方々は能力も高いし、ずっとボランティアスタッフとして関わってきた経験はこんなにも違うものなのか、と。
そしてこの分野でずっと活躍してきた、正規スタッフと自分の差は更に大きかった。
子どもたちの心をパッと掴むテクニック、気持ちを読む解く心、子どもたちの変化を見逃さない目。
そして、ここだ!と的確に子どもたちが成長するポイントを見分ける力は本当にすごかったです。
それを見た私はちっぽけなプライドを守るためか、変われずに自分の殻を破れずにいました。
少しでも自分の経験を通して子どもたちに何かを伝えよう、なんて思っていたのが、まず子どもたちの気持ちを理解し、楽しませることすらぎこちないくしかできない私に、一体何ができるのか、自信をなくしていく一方でした。
今思うと、強がっていたけど、頼りなかったなぁ~自分。

■子どもたちが気づかせてくれた

悶々とした思いを抱える中で、決定的だった出来事がありました。
1週間くらいだったでしょうか。
少し長い冬キャンプをすることになりました。
この時私は裏方ではなく、6人くらいの小学中高学年のグループに入り大人リーダーとしての役割を任されました。
このキャンプは名栗の施設だけでなく、遠征もするいつもより大きなキャンプでした。
忘れもしません。
スノーシューや雪遊び、真冬の体験をしに長野の「アサマ2000パークスキー場」に行きました。
奥日光時代もスノーシューや雪のフィールドでの活動は好きで、慣れていたこともあり、とても楽しい時間でしたし、普段雪が少ない場所にいる子どもたちは雪や冬の長野での体験を本当に喜んでいました。
名栗に戻る最後の夜、班の中で2人の男の子が大きなけんかをしました。
それまでもちょっとした小競り合いはあったのですが、今回のけんかは手が出るものになってしまいました。
そこで班で集まって緊急会議。
それぞれの言い分を聞き、なんでそうなったか、どうしたらいいか、話し合いました。
なかなか嚙み合わず解決を見ない中、結果的に自分はその場がおさまるよう、誘導してしまったのです。
そう、大人の気持ちを優先させたのでした。
せっかくの楽しかったキャンプが辛いもので終わらせたくない、2人以外の子どもたちにも重たい空気を長引させてくない、そう思いました。
その後のスタッフミーティングの中でもその議題が出て、もちろん正解はないのだけれど、話し合う中でもっとお互いの気持ちを受け止めて、想いを聴いて、本当のところはどうしたかったのか、じっくりと話し合うべきだったのではないかと思いました。
大人の都合で2人の気持ちを抑えてしまったかも…。
結局はモヤモヤした嫌な気持を残したままキャンプを終えることになったのでは、と後悔しました。
後日、けんかをした男の子の1人から手紙が来ました。
私はそれを恐る恐る読むと、楽しかったよ!ありがとう!と書いてありました。
嬉しかったというよりホッとしたのが本音です。
そしてそのとき思いました。
こんな中途半端な気持ちではダメだ。
ブレない芯を持った人間にならないといけない。
子どもたちに何を伝えるにも、大切にしたいものをきちんと持った生き方をしよう。
でないと子どもたちを戸惑わせるだけだ。
2人の男の子が気づかせてくれたのでした。

■何がしたいか、どう生きるか

結果として名栗げんきプラザをやめることにしました。
やはり中途半端な気持ちではやっていけないと思ったからです。
名栗げんきプラザの皆さんには、こんな中途半端な気持ちで関わっていたことを申し訳なく思いますが、いろんなことを気づかせてくれ、貴重な経験は今でもいろんな場面で役立っています。
本当にありがとございました。
そしてチームみんなが仲が良く、居心地良い職場でした。
また皆さんに会いに行きたいです。

それから少し時間ができ、自分は何がしたいのか、しばらく悩みました。
そんなとき、佐久市内山にいるおじいちゃんの畑や田んぼをもうやる人がいないらしい、との話がありました。
わぁ~っと頭の中で浮かんだのは、子どもときに楽しかったおじいちゃん家で過ごしたいろんな記憶です。
虫を追いかけ、川で小魚釣り、みんなでやった田植えや稲刈り…。
そうか、あの頃の記憶が強くベースにあって、自然が大好きになったんだ。
山や川、田んぼや畑がある里の風景が広がる中で暮して生きたい。
何ができるかばかり考えいてた私が、どう生きたいかを意識した瞬間でした。
初めて自分がしたい「生き方」を考えるようになりました。
これを機に、おじいちゃんが住む佐久市内山で何をして生きていきたいか、模索し始めるのです。

(つづく)

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