管理系キャリアについての放言

今後のキャリアで悩んでます、とスタートアップの管理部に所属する方から相談を受けた。

「あー、どうだろうねぇ...うーん。Aくん固有の話は、人生観次第だからよくわからないけれど、僕がそういった管理系の人々のキャリアについてどう考えているか、ざっくりと説明するよ。ホントざっくりとね。」

本文は、上記の趣旨に基づき説明したことを文章化したものである。

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どこで働くのか?という選択はまずはじめに、ベンダサイドとクライアントサイドに分岐している。ベンダサイドとはつまり、他社のために業務を提供すること。クライアントサイドとは、それが自社のため。公認会計士事務所の人間である僕はベンダサイド、スタートアップで働くAくんはクライアントサイドにそれぞれ属している。

ベンダサイドで働くことのメリットは、様々な規模・業種・状況に分布する複数の会社に対して、同時に関与できること。結果として、専門能力が抽象化され、対処可能な範囲が広くなる。つまり、限定的な一部の会社にのみ役立つ能力ではなく、様々な会社で通用する能力が身につく、ということ。能力の抽象性については何度か書いている(参考『個人能力の具体と抽象』)。

ここで注意するべきは、そのベンダの専門能力のクオリティ。型がイマイチだと、イマイチな型が身につき、結果として能力が伸びない。身につけた技術が役に立たない(参考『正しい型での修行』)。また、その型が、組織に属しているのか個人だけに属しているのか、という点も重要だ。技術が属人的であれば、師事する人間次第になる。もしも既知の優れた人間の部下となることが確定的な状況であればリスクはないが、そうでないならば運に頼ることになる。少々キケンだ。それを避けるため、実力が聞こえてくる少人数事務所においてボスの直下で修行すると良いかもしれない。そのボスの人間性にリスクがあるけれど(参考『経歴10_会計士修行①_監査法人の次はなに?』)。

ベンダサイドで働くデメリットは、それがクライントワークであること。当たり前だけれど、カネをもらって働くことには、責任が伴う。特にクライアントは管理業務にミスを想定しておらず、その期待値は、はっきり言ってストレスだ。結局ベンダというのは出入り業者であって、先方の社内政治もしくは非論理的な都合によって、理屈として正しい意見が通らないこともある。また、これは究極的な話として、管理業務は退屈な仕事だ。クライアントサイドにおいて、身内である仲間のためにそれを提供するならばまだ気が許せるかもしれないけれど、カネのためとはいえ、他人のために提供し続けることに精神が疲弊してしてしまう。そのことは気をつけたほうが良いだろう。

続いて、クライアントサイド。既に仕組みが整っている会社とそうでない会社にまず分岐する。仕組みが整っている会社も、大法人と中小法人とに分けられる。

大法人では、内製化された管理系ソフトウェアを使用している場合が多い。パッケージ製品でも相当のカスタマイズを施している。そのとき、ユーザは、決められた情報を打ち込めば適切に処理が遂行される、という状態にある。かつ、各管理部員は、業務全体のごく一部のみを担う傾向にある。どのような処理が背後で行われているかは把握していない。業務自体を設計・構築することはほとんどない(全くないとは言わないが)。したがって、他所で再現することができない。特定の会社の、特定のツールの専門家と化していく(再掲参考『個人能力の具体と抽象』)。僕はよくパン屋でこれを喩える。巨大パン会社のパン工場で働くことと、街の小さなパン屋で働くことの違い。工場でモノを生産する、という能力は工場の方が身につくけれど、パンを作る能力は、パン屋のほうがよいのではないか、という指摘だ。もし、例えば開示・連結・税務の特定分野だけに興味があって、それを学びたいのであれば大法人で修行することも悪くはないかもしれない。ただし、その場合はベンダサイドの該当する専門集団内で働いたほうが技術は高まるだろう。大企業の役職者となるべく出世していきたい場合は合理性があるかな、と若干考えたが、しかし今後(たとえば10年後)は、専門ベンダからの転職者が地位を占めることになるのではないか、機械の処理範囲が拡大し人間はどんどん不要になるのではないかと推測する(機械と管理業務については『管理仕事の方法論_総論編 』のコラムに記載した)。機械化は、投資予算が大きく、事業内容や組織構造の変更が少なく、業務種類ごとのトランザクション数の多い大企業から進むだろう。

次、仕組みが整っている中小法人。自分のしごとが具体的にどういった機能を果たしているのか把握しながら、幅広い分野について、実務に関与できるのであれば、良いかもしれない。このときの注意は、ベンダでの修行と同じように、その仕組みのクオリティだ。クライアントサイドにおける管理業務の場合、彼らは他社・他業種への適用可能性を想定しなくてもよいから、より深く、細かく、そして自動化される傾向にある。クオリティ高くそれが実現されていれば、とてもよい学習にはなると思う。ただし、やはり抽象度が甘く、その次、また別の会社に活躍の場を求めた時、そのまま役立つことはない。つまり、汎用性がない。もちろん、多くの再利用ポイントはあるだろうが、不確実だ。

続いて、整っていない中小法人について。メリットは、そこで偉くなれる可能性。自分が第一人者として仕組みを作り、役職者になり、もし上場を目指す会社であればエクイティインセンティブをもらえるかもしれない。デメリットはもちろん、仕組みを自分で作らなければならないこと。「正しい手法」を知らない状態でこれに挑むことは、なかなか難しい。僕のようなベンダがフラッと現れて色々と手伝ってくれれば上手くいくこともあるかもしれないけれど、現れる確率、その者が有能である確率まで勘案すると、頼るには心もとない。

それぞれの分岐のメリット・デメリットは、概ね対の関係にある。ベンダサイドのデメリットとして挙げた、他人のために...というのは、クライアントサイドにおいては、仲間にために...というメリットになる。

一旦まとめる。

精神的にタフで、専門能力の抽象化を志し、かつ、修行場所の目利きができるなら、ベンダサイド。期待値高くカネを稼ぎたい、深い人間関係が面倒だ、という人もこちらが向いている。

まだ自分に自信がなく、安定した報酬と仕事環境を得て、勉強しながらステップアップを....という人は、整った会社が良いだろう。整っているかの判定は、ネット上でその会社やメンバーが公開しているコンテンツを参考にする。そこからおおよそのクオリティが推測できる。

自分に自信があるけれどベンダサイドに挙げたような特徴はなく、チーム一丸となってやっていきたい、エクイティインセンティブでホームランを狙っていきたい、という場合は、整っていないスタートアップなどが良いかもしれない。しかし...管理系の人間というのは結局、事業に致命的な影響を及ぼすことができない。エクイティ的な意味での成功とは事業の成功なので、このホームランは他人頼りになってしまう。つまり管理不能である(参考『問題対象範囲の線引方法』)。また、もし初期スタートアップへの参画を考えているのならば、時の経過によるエクイティのべスティング契約を忘れずに。最初の混沌を整えたのに、最後の最後で持分を没収されてしまう悲劇を防ごう。

整っていない中小法人でいえば、もちろん、上場を目指さない優良企業で大きな報酬と自由に使える社用車、そしてエグジットしないが配当を生む株をもらって豊かな生活を楽しむことも全然悪くはない。カネという意味ではそちらのほうが合理的だ。地方にいけば、そういった夢のような話が散見される。

まぁ...カネ稼ぎの観点からは、ベンダとしてフローを得つつ、クライアントサイドでエクイティインセンティブをもらって大きな利益を狙うことを多数試行する、というアプローチが良いのかもしれない。誰かみたいだ。

しかし結局、いずれにせよ、「自分はどうしたい / したくない のか」が決定的に大切だ。莫大なカネが欲しいのか、仲間と夢を追いたいのか、純粋に技術を高めたいのか、安定した穏やかな収入と仕事と生活を得たいのか。もちろん、それらは複合的だろうが、優先順位はあるはずだ。まず理想の人生を固定した上で、逆算によりアプローチを選択する。「どうしたい」の前には、本文ような構造説明なんて、まったく些末な話である。

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以上。蛇足として、「カネの稼ぎ方」についての考えは、こちらのエッセィに書いたことがある(参考『nagabot問答_外構職人の若者』)。それでは。

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