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【読書】 満足も納得も出来ないという理解。 ~ 私という病 中村うさぎ ~


「グロテスク」を読んでから、ネットで改めて「東電OL事件」の記事を色々と読みました。

事件を元に書かれたノンフィクションや小説がたくさんあることを知り、3冊ほど読んでみたい作品を見つけました。

その3冊は色々な本屋さん、古本屋さんを巡ってもなかなか遭遇出来ず。。

ようやく見つけた1冊が、こちらの「私という病」です。



中村うさぎさんはMXテレビの「5時に夢中」のコメンテイターを以前なさっていて、ネットで上がっている動画を見ては「面白い人」と思っていました。

ジュニア小説でデビューされていて、その後にご自身が陥った依存症についてやエッセイなどを書かれています。

「面白い人」と思っていて、週刊誌の連載を目にする機会はありましたが、書かれた本を手に取ることはありませんでした。

「面白い人」と「センセーショナルな人」といった「見た目」で充分と思っていました。



いざ読み始めてみると「まえがき」にお断りが書いてあります。

物凄く要約すると「男性向けのオカズにはならないよ」といったお断り。

「オカズ」とは何ぞや?

うさぎさんが何に体当たり体験したかというと「デリヘル」。

耳にしたことはあるかもしれませんが、職業としては「風俗」です。

ざっくりと「接待飲食等営業」「ギャンブル」「性風俗」の順に警視庁の「風俗営業等業種一覧」に並んでいました。

その中の「性風俗」に「デリヘル」は該当します。

そういったことなので「男性向けのオカズ」になると思って「ホイホイ状態」で本を購入する方がいらっしゃるでしょうが、「ならないよ」と書いてあるだけに「(体験)業務内容」は掘り下げて書いてはありません。

うさぎさんの人となりを感じる「面白おかしく・さっぱり」した文面で書かれているので、表現はそれなりに書かれていますが「ならないよ」です。

「なりたい」なら、男性ルポライターの体験記の方が宜しいかと。
(そんな提案)


「ならないよ」ですが、何というか「うさぎさん」の「顔」をテレビや雑誌でですが知っているだけに、その「面白おかしく・さっぱり」した文章でも、「うわうわっ」と思ってしまうことは否めませんし、「ホントに(仕事としてでも)したんだ・・」と脱力ものです。

「たった3日の体験」だそうですが、読んでいく内に「たった3日」で済んで良かったと思わずにいられません。

冒頭に「グロテスク」から今作を読もうと思っている流れにあるように、単なる「性風俗体験記」ではありません。

「この仕事」を通して、「女性として」や「女性性」、「女性のリアルな価値」などへ話は展開していきます。



うさぎさんは色々なことに「どハマり」していますが、その中にホストがあります。そのホストとの深い付き合い方の中で「自身の女性としての価値」にぶち当たります。色々な「どハマり」の中でも「自身の女性としての価値」について考えられていますが、自分は特に「ホストとの出来事」が体験をすることの一番の引き金じゃないかと思いました。

そこをきっかけとして、思い切った「自身を金額にすると?」から「デリヘル」体験へ突き進んで行きました。「美醜」「年齢」「性格」は数値で測りかねますが、その辺り「性風俗」は「数字(価値)」としてハッキリしています。



体験を通して「自身の女としての価値」、「男からの女としての価値」、「仕事内容に対する金銭的評価(自身の値段)」、「この仕事(デリヘル以外の性風俗も含めて)を続ける意味」、この辺りを「女性でいることが嫌になる」といったことも含めて語られて行きます。

特に最終章の「東電OLという病」は「グロテスク」という「小説」を読んだ後では非常に生々しい感じで迫って来ます。

亡くなった方の気持ちは聞くことが出来ませんから、勝手な想像をするより他にありません。


事件のあった時代は「男女雇用機会均等法」が成立し、東電OLが法に沿うように「総合職」として東京電力へ入職。そこでは「男女均等」といった環境には全く非ず、形だけの「男女雇用機会均等」であることにぶち当たり、「立ちんぼ」と呼ばれる「最下層の性風俗」へ転がり落ちていく様をうさぎさんが「妄想」して書いています。

かなりリアルです。

「グロテスク」読了後では、痛々しい位です。

“本番”の有無がありますが、たとえ3日間の体験だったとしても、同じ立ち位置を経験していないと書けない内容かと思います。

「わたしが東電OLだったかもしれない」と云う「東電OL症候群」が事件当時に話題になっていたようですが、事件現場には当時から今に至るにもお花のお供えが途絶えないと言います。

うさぎさんの書く「女でいること」についての価値を含めた考え方、「男」の存在との相違や関係性は、今の「全ての性差におけるジェンダー問題」と呼ばれることにも通じると思います。



自分は「完全な平等は無理」だと思っています。

それはどうしても「容姿」「出自」「年齢」など、どうしようも無い部分の個々の偏見というか、好き嫌いは拭い去れないからです。無意識で優劣を付けてしまうこともあると思います。

そのために相互に歩み寄って相互に理解することが必要だと思います。
でも「力が強い」方が「力」を振りかざすことを止めない限り、「平等に見せる状態」が単純に維持されるだけなのかなぁと。


東電OLが今の世の中で「同じ境遇で就職」をしたなら「同じこと」をするのかどうか?
これだけ「差別をなくそう!」と頑張っているご時世でも、本作を読むと、何となく「同じこと」を選ぶような気がします。



「私という病」は治療法が確立されないままです。

うさぎさんによると、「女」というあらゆる面での「自意識」を脱出出来ると「治る」のかもしれないようです。

「男(力)」側の人々の「意識」も同時に瓦解出来たら、「東電OL症候群」も治癒に向かうのかもしれません。



性風俗から女性・男性、ジェンダー問題と大風呂敷を広げまくってしまいましたが、せっかく広げたので、ついでに(笑)

今の世界レベルの様々な出来事も、そういった「意識」が変わらない限り、現状維持なんでしょうね。

変えようとして変えた「意識」によっては、更なる悪化もありそうで・・。



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