人に踏み込んで関わるときの、恐怖と意志と繋がりと
この2週間くらい、気持ちがざわざわすることが多かった。
一つ一つの事象をケアすることはしていたけれど、なんとなく収まらなくて。
でも少し俯瞰して見たとき、なんとなく輪郭が見えてきた。
それはきっと、人と出会い直そうとしているから。踏み込みたいと思っているから。能動的に愛する意志が問われているから。
そしてそれを恐れている自分がいるから。
人と人は、何度も出会い直す
人と人が出会うのは、一度だけではない。何度も何度も、出会い直すものだと思う。
それは必ずしも、再会するというだけの意味ではない。
「新しい一面を見つけた」
「お互いが、前会った時から変化した」
「もっと深いところを見せられるようになった」
人間は無限に奥が深くて、絶えず移ろうものだから、以前出会ったその人と、今目の前にいる人は決して同じではない。
だから、人と人は何度も出会い直す。
出会いと別れは表と裏
どんな出会いにも、別れは付いて回る。人間は生まれる時も死ぬ時も1人だから、出会った全てのものと、いつかは別れる。
「人と出会いますと、それだけ哀しみが増しますから…」
『世界で一番美しい病気』|中島らも
それは「出会い直し」でも同じ。
その人に出会い直すということは、それまでのその人と別れるということ。時にそれは、痛みを伴う。
「そんな人じゃないと思っていたのに」
「すっかり変わっちゃったんだね」
実際は無限で変化し続ける人間を、ぼくたちは安心感を求めて、単純で不変なものだと理解してしまう。すると、出会い直しは痛みを伴う別れになってしまう。
出会い直しは別れを予期させる
痛みを伴う別れを繰り返すと、人と出会うことに恐れを持つようになる。
しかし、現実に何人もの近しい人を病気や事故や自殺で失っていくと、「出会い」に対してポジティブな感情を持つことができにくくなってくる。「会うは別れの始めなり」ということが、ものの道理としてではなく、自分の感情や痛みの感覚においてわかってくるからだ。
『世界で一番美しい病気』|中島らも
誰かと出会い直す時、いつか必ず来る別れに思いが至ると、恐れを感じてしまう。いっそ出会わない方が幸せなのではないかと思ってしまう。
自ら踏み込んで愛することは恐れを伴う
出会い直すためには、自ら相手に踏み込まなければいけない。それはすなわち、相手を愛することでもあると言い換えられるかもしれない。
愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏みこむ」ものである。愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。
『愛するということ』|エーリッヒ・フロム
ただ、能動的に相手に踏み込むことは、責任を自分が背負うということ。
「裏切られるかもしれない」
「応えてくれないかもしれない」
そんなリスクを引き受けた上で、意志を持って踏み込まなければ、出会い直すことはできない。
勇気を出して、自分を守る盾を下ろす
そして、誰かに踏み込むには、自分を守っている盾を下ろさないといけない。
「君は鉄壁の人です。攻めの姿勢は内面の鉄壁が守られているからできること。君の内部のお姫様が完璧主義な潔癖症だからこそ、攻めの体制を崩さずにいられるのでしょう。しかしガードのリスクはあります。自己防衛は図らずも必然的に他者を傷つける。なぜなら盾は硬くて痛いから。」
『“愛するという技術”は誰のためにあるのか?』|ハヤカワ五味
盾を下げるということはすなわち、自分の弱みをさらけ出すこと。それも、とても勇気がいること。
「受け入れられないかもしれない」
「嫌われるかもしれない」
そんな恐怖と戦いながら、グッと盾を下げてから一歩相手に踏み込まなければ、どちらも傷つけてしまいかねない。
人と関わる姿勢は、成長しているようで成長していないのかもしれない
踏み込むのが怖いのも、盾を下ろすのが怖いのも、これまでの経験があるから。
踏み込みすぎて失敗した罪悪感、盾を下ろしても誰にも受け入れられなかった絶望。そういった昔の記憶が、ぼくたちを縛り付ける。
もちろん、ぼくたちは過去の挫折や失敗から学ぶことができる。以前に比べたら、人とよりよく関われるようになったという自負もある。
ただ同時に、いつも同じようなことでつまずいているような、全く成長していないような感覚もある。
ぼくはきっと、どれだけ学んだつもりになっても、対人関係について悩み続けるのだろう。
人とのつながる勇気をくれるのも、人との繋がり
誰かに対して、一歩踏み込んで出会い直すことには、たくさんの恐怖が伴う。その恐怖はときに、1人ではどうあがいても乗り越えられないような、大きなものに見えることも。
宇宙のような深淵である人間に、それが深淵であることを飲み込んだ上で、勇気を出して一歩踏み込むことで、人と人は初めてキラキラした出会い直しをすることができる。
そんな恐怖を乗り越えるときに必要なのは、逆説的だけど、人との繋がりなのではないかと思う。
「きっと大丈夫だよ」
「怖いよね、わかるわかる」
「勇気を出して、すごいね」
誰かがくれる安心感や共感が、ぼくたちに恐怖を乗り越える力をくれる。
そしてそんな人との繋がりを手に入れたのは、確実にぼくたちがこれまで勇気を出して人と出会い直し続けてきた賜物だ。
だから、大丈夫。今日もきっと、よい出会いができるはず。
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写真は、留学していたオランダ・ライデンの運河。暗くても、行く先を照らす明かりはある。
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