「幸せの価値基準が低い」は褒め言葉?
先日Twitterでとある人の呟きを見てモヤモヤしたことを吐き出させてください。
“幸福度No.1の国”ってどこかご存知ですか?
2020年3月に国連から発表されたの幸福度No.1の国はフィンランドでした。なんと3年連続でトップらしいです。日本は62位で昨年より4位後退していました。
うんうん、そうだよね。サウナが日課で自然豊かで、夜はオーロラも見えるムーミンがいる国だものそれは幸福でしょ。こう思う方も多いんじゃないかと思います。
ですが、驚いたのはその幸福の国の「自殺死亡率」、通常自殺率の高さです。
自殺率は人口10万人に対して自殺して亡くなった方の人数を表しています。2017年は日本が16.8人、フィンランドは15.0人と共にその年の自殺率ランキングトップ30にランクインしていたそうです。
高幸福度と高自殺率の相反する2要素が混合している複雑な国がフィンランドです。
そのバックグラウンドを把握して頂いた上で、私がとても気になったツイートをご覧ください。
(省略)幸福の理由は他にあります。サウナをしたり、読書をしたり、友人と食事を楽しんだり、コーヒーを飲みながら湖を眺めたりすることが幸せと言う。結局、幸せの“価値基準”が低いことが、幸せになれる一番の方法なんでしょうね。
みなさんはこれを読んでどのように感じましたか?
私は猛烈な、猛烈な違和感を感じました。
多分これは「日本人は小さな幸せに気付けていない。その幸せは当たり前じゃないんだよ」と言っているのだと、個人的超解釈で荒ぶる気持ちをなんとか抑え込みました。
幸せの価値基準の高低を、他人が決められるものなのでしょうか。別の国の、別の価値観の人に。
私も基本ポジティブ思考寄りではあるので幸せのコスパは高い方だと思ってます。家で炊いた白米を頬張ってる時は本当に幸せを噛み締めてます。
実のところ、自分の幸せの価値基準が低いと言われた気がしてとても嫌だったんだと思います。種が撒かれ、稲穂が育ち収穫され、包装されてトラックに運ばれてここまでやってきてくれたつや姫を食べれることの幸せ、あなたには分かるのか!!と。
きっと100人いたら100通りの幸せがあるはずです。そこに順位をつけれるのは誰なんだろう幸せのプロは自分しかいないだろう、そう思ってならないのです。
逆にこのツイートに共感した方々にも聞いてみたいです。あなたが思う”幸せの価値基準が高い”ことって、どんなものがありますか?
「自分にとって何が幸せか」を知っているだけで十分幸せ者だと思いませんか?もう幸せがゲシュタルト崩壊しかけてます。
"幸せの価値基準が低い"は、褒める時に使う言葉ではないのではないか。あのツイートを責めるわけではなくただ、私はそう思いました。それを言葉にしたかったんです…。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
いつもそこにある幸せを噛み締めていきましょう!
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