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【読書記録⑭】スプートニクの恋人

■基本情報
タイトル:スプートニクの恋人
著者:村上春樹
刊行:2001年1月
出版社:講談社
カテゴリー:文学
読んだ月:2022年1月

読書好きな僕が小説家のたまごを好きになって、その子が年上の奥様も好きになるって話

22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。―そんなとても奇妙な、この世のものとは思えないラブ・ストーリー。

スプートニク:ロシア語で旅仲間、人生の伴侶という意味。ロシアの人工衛星の名前にも使われ、スプートニク2号は、犬を乗せて、初めて宇宙に飛び立った。

以下、感想コメントです。

面白いけど難しい!

村上春樹をはじめて読んで、文学作品も久しぶりだったので、遠回しな感情表現ややり取りが違和感ありましたが、楽しく読めました。感情や情景の表現と、ストーリー全体の意味付けを考えて、読み進めると非常に読みごたえがある作品でした。

文脈や解説が抜けている部分があり、作者の思想を正確に理解することは、非常に難しかったです。

物事の二面性がテーマ

二律背反と呼ぶのが適切かは分からないが、あちら側とこちら側、理解と誤解、現実と夢、性欲有無など、二面性があり、その中で揺れ動く僕や、すみれ、ミュウを描いている。

こちら側とあちら側とは何か?、どうやって行くのか?

明確な定義はないものの、どちらも現実であり、パラレルワールドのような位置付けで書かれている。ミュウはあちら側に半身を置いてきてしまい、すみれはこちら側で姿を消し、すみれの猫も同じくこちら側では煙のように姿を消した。すみれや猫のこちら側での存在がゼロイチなのに対して、ミュウだけが半身であることには、少し違和感があるが、あちら側を見るというショッキングな出来事によって、変化(性欲や黒髪の喪失)が起きたと解釈している。

こちら側からあちら側に行くためには、呪術的な洗礼・儀式(犬の首を切って、血を流す)が必要とされる。すみれはそれを理解していたが、ミュウは理解しておらず、偶発的にあちら側を覗いたようだ。
↑この辺りの解釈が非常に難しい。

なぜすみれは帰ってきたのか?

①ミュウが象徴的な母親であることに、すみれが気付いたため
あちら側で登場した外国人で年上でハンサムなおじさんであるフェルナンドと、あちら側のミュウは、恋心も性欲も満たしている関係である。このフェルナンドがこちら側のすみれ父に酷似している。すみれ父は、細かい描写がないが、外見の特徴は非常に一致するところが多い。

(描写はされていないが)すみれは性欲と恋心のあるミュウを求めてあちら側へ向かったが、あちら側のミュウとフェルナンドを見た際に、あちら側の母親と父親であることを察したのだと思う。
すみれは、記憶にない母を長年探していたが、こちら側とあちら側のミュウが象徴的な母親であることを理解したのだろう。(血のつながりがある母親では無さそう。)そのため、ミュウの存在を肯定して、
”僕”のいるこちら側の世界に戻ってきたのでは?

ミュウ=象徴的な母親であるとすれば、こちら側のミュウがすみれに対して、性欲を持てなかった意味も理解できる。だがミュウはこちら側ではすべての人に性欲を持たなかったので、それだけでミュウ=母親を主張できる材料ではないが・・・

②”僕”がガールフレンドとの関係性を清算した。
ガールフレンドの息子であるにんじんは、表現力がないが、周囲を良く見ており思慮深く、本質を捉えられる子だった。にんじんは、母親からの愛情の違和感に気付いており、僕は子ども時代の”僕”とにんじんを重ねていた。
そんな子供時代を送った僕が年上や人妻と付き合っていたのも、母親を求めていたから、だと気付き、(にんじんのためではなく、)自分のために清算を決意した。

すみれも僕も家族愛、特に母親からの愛情を理解することで、大人になった?、そしてお互いの大切さに気付いた?という感じかな。

様々な理解が出来る奥が深い作品だと思います。

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