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いつもとちがう、君のアメスピ

たばこの香りがすき。
たばこの香りがする男の人がすき。

ふとした瞬間、その人がいつもより近づいたその瞬間、目があって、なんとなく逸らせないとおもった瞬間、ふわりと感じるあの香り。
さっきまではあまり気にならなかったのに、今私をその瞳に誘い込むかのように漂う、あのすこし苦い香りが、すき。

いつもよりも早いペースで進んでしまうお酒はいつもよりもずっとカラフルで、私の心を無理やり色鮮やかにしようとする。それに負けじと、私のマイナス思考は加速する。
下へ下へと、坂道を転がっていく。

「なんでさぁ、つれたからってさぁ、ほうっておいちゃうの?もうどっかいっちゃうよ?とかもぜーんぜん通じないしさぁ」
「見る目がないからね、君は」
「いっつもそう。こんどこそほんとの恋だっておもってがんばってるのに」
「ほんとの恋に何連敗してんの」
「ななかいめくらいからかぞえてない!」
「一旦恋愛に生きるのやめれば」
「そんなのよんかいめくらいからおもってます〜」
「じゃあ男の前で可愛げがないのがダメなんじゃない?」
「あのね、オンナはアイキョウなんてもう」
「「いまどきセクハラよ」」
「……わたしのせりふ、とらないでよ」
「そのくだり耳タコだし」

ふわふわしてなきゃやってられない。
どうして人は、好きな人と一緒にいても、それ以上に目を引かれる人がいることに気づいてしまうのか。
どうして人は、同時にきもちを動かせるくらい器用なのか。
どうして私は、私ひとりを愛してもらえないのか。
もしかして私は、誰の目にも映らない、いらない人間なのかもしれない。

「あ、これ、おさけじゃない」
「いや、ちゃんとお酒だからね」
「うそ、ジュースだよ、あまいだけ」
「それだけ酔ってたら味なんかわからないよ、お酒だよお酒」

この人は私のアルコールの限界摂取量を理解している。だからきっと本当に、これはお酒じゃない。
私がお酒を飲むのは、この人の前でだけだ。会社の付き合いでも友人とでも、お酒に強くないからと一言断りを入れて、ずっと烏龍茶を飲む。乾杯から烏龍茶で微妙な視線を浴びるのには、もう慣れた。
単純に好きじゃないのだ。飲めば頭痛がするし、心臓も動かしすぎで痛くなるし、地面がゆらゆらして気持ちが悪くなるし、体温はどんどん冷えていくし、アルコールの香りも好きじゃないし。炭酸もきらい。単純においしくないので、具合が悪くなるのをおしてまで飲むものじゃないとおもっている。
それに、酔っ払ってるときに始まる関係にいい思い出がない。まあ、こっちの方が本音。

彼は高校のクラスメイトで、当時は友だちと呼べる程度の仲だったのだけれど、大学進学を機に上京したら偶然にも最寄り駅が同じで、それから定期的に出かけたり飲んだりしている。
私は、彼のアパートまで徒歩5分圏内という近さの今のアパートが気に入っていて、今年の冬に2度目の更新料を支払ったのに、彼はあっさり5駅先に引っ越してしまい、あと1年ちょっとをこの街でどう過ごそうか、今ちょうど悩んでいるところだ。裏切り者だとおもう。
でも、急行に乗れば1駅で行けるのは、彼らしい微妙なやさしさだ。

「ちょっと煙草行ってくる」
「……え?すうの?」
「吸うよ」
「は?しらないんだけど」
「言ってないからね」
「きいてないからね」
「仕事中サボれるんだよね、煙草あると」
「うちのクソ上司とおなじこといわないでよ」
「君のクソ上司ほどは腐ってない」
「いやいやいや…かわらないって……」

知らないことがあることにそわそわした。
少なくとも高校2年生からの日々を共にしたわけで。年数にして8年。8年ってぴっかぴかの小学1年生が6年生通り越して中学3年生ですけど。ピュアな天使がエロいことか超能力にしか興味持てなくなるくらいの期間があるんですけど。そんな時間一緒に過ごしていて教えてくれないなんて、文句しか出てこない。

しかもアメスピなんて。
酔いが覚めてしまった。

「なんでアメスピなの?」
「1本で他の煙草3本分くらいサボれるから」
「クズじゃん。わざわざ黄緑すうくらいなら、ほかのたばこにすればいいのに」
「君これの強さわかるの?」
「わかるよ、それはメンソールの1ミリでしょ」
「黄色は?」
「ライトとゴールドがあるよ、どっち?」
「いやぁ、どっちでもいいわもう…」
「元カレ全員アメスピだから」
「うわ、まじか。知らなかったんだけど」
「ふつう言わないでしょ、彼氏の吸ってるたばこの銘柄なんて」
「すごい偶然だな」
「偶然じゃないよ、私が選んでたの。アメスピ吸う男を」
「うわぁ」
「大丈夫、私がいちばん引いてるから」

はじめて人を好きになったのは、高校2年生の時だった。ありきたりな話だ。相手は塾の先生をしている大学生で、もともといい先生だなと思ってはいたけれど、それ以上の何かはなかった。でも、自習に行ったある日の帰り、塾の裏が見える道路を、いつもは通らないのにこの日はなぜかたまたま通って、たまたま振り返った。先生が電話をしている姿が見えた。先生は泣いていた。スーツ姿の大の男が、鼻をすすりながら、ぼろぼろと涙を流していた。遠かったので話している内容すべてが聞き取れたわけではないけれど、大好きなひとに別れを告げられたようだった。
私はいつもと違う先生を見て、胸がきゅんきゅんして動けなくなってしまった。ああ、あんなに縋って泣いてしまうなんて、先生ってちゃんと人間なんだ。かわいいおとこのひとなんだ。そう思いながら、オレンジ色の箱から取り出したたばこに火をつける先生を見つめていた。

それから私は先生のところによく質問をしに行くようになり、先生にたくさん面倒を見てもらう生徒になった。いろんな相談をしたり、大学の話を聞いたりして、先生との距離を縮めた。そのおかげか、塾を卒業して先生と生徒の関係じゃなくなると、今度は彼氏として私の隣にいてくれることになった。

初対面の時から彼の香りはアメスピのオレンジだった。彼が就職するまでの2年間しか一緒にいられなかったけれど、この人がいちばん長くていちばん好きになった人だ。この人に勝てる人はまだいない。
だからなのか、いつまでもこの人と似た香りを求めてしまう。

「ちなみに何色が好きなの?」
「オレンジの元カレがいちばん好きだった」
「そういうことを聞きたかったんじゃないんだけど」
「ターコイズは変態。ゴールドがいちばん顔がよかったな。黒はあんまり思い出したくない。直近は深緑」
「深緑、3月の下旬に出た新商品らしいよ」
「ああ、なるほどね。たしかに新しいモノ好きだったなぁ。コンビニに行くと、期間限定とか新発売とか書いてあるものすぐ買ってきちゃうんだもん。ああ、そっか…」
「……黄緑の人いた?」
「いない…そっか、新しいモノ好きかぁ…会うたびにプチ整形でもしてればずっと好きでいてくれたのかなぁ」
「君が君のままでいられないなら、その恋はやめたほうがよかったよ」
「ここまでくると、どこの誰もこのままの私じゃ拾ってくれない気がする」
「まだ黄緑の人がいるじゃん」
「やだよ、わざわざ1ミリのアメスピ吸ってる人なんて」
「わざわざ選ぶからこそ、じゃない?」
「だってメンソールの1ミリでわざわざアメスピに固執する必要ある?」
「あるんじゃない?アメスピがいいんだよ」
「アメスピと私は違うよ」
「わざわざ求めるという点では同じだよ」
「頭がぐらぐらして文脈をとらえられないんだけど、何が言いたいの」
「まだ、君は黄緑の人を選んだことがなくて、たまたま今目の前に、わざわざ黄緑を選ぶ人間がいるよ、って言いたい」

さすが、黄緑を選ぶだけあって、なんだかすごいことを言ってきた。よくわからない。
だって彼と私はもう男女の区別がないレベルの友だちなのだ。安心感はあるけれど、この人とセックスできるかって言われたら、できない気がする。そもそも、自己申告されるまで煙草を吸いはじめたことに私は気づけなかったのだ。確実にアメスピの香りにだけはアンテナが動く、この私が。
この人は散々嗅ぎなれた香りがしなかった。
だって1ミリのアメスピだから。

「アメスピ吸ってるってわかんなかったもん」
「メンソールの1ミリだからね」
「そう、アメスピなのに」
「今までアメスピ感のある人たちで全滅してるんだから、ここら辺であえて、アメスピだけどアメスピ感ない人間にしてみるってのも手なんじゃない?」
「わざわざ1ミリのアメスピを吸うような?」
「ちなみに君が毎回アメスピを吸う男を選んでたの、僕はとっくに知ってるからね」
「ちょっと、お酒のお代わりがほしい」
「じゃあ僕の飲みなよ、まだ冷たいから」
「……お酒じゃないのにドキドキする」
「ちゃんとお酒だよ」
「わざわざ1ミリのアメスピを吸う人に、ちょっとドキドキしてる」
「それはお酒のせいじゃないといいな」

これは、お酒の味がしないお酒なのかも。
そうじゃなきゃ、わざわざアメスピの黄緑を選ぶ人を、私が選んだりするわけないもの。



たのしく生きます