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コロナ禍で厳格管理を実現させた都市構造と社会主義ーリアルとデジタルにまたがる厳格な管理社会 2ー

“上海での日常の変化”

私が今住んでいる場所は上海の中心部に位置している、築80年の長屋式の古民家。近隣にはほとんど外国人が住んでいない。中高年の中国人ばかりで作業服を着ている人も多く見かけるのでブルーカラーの人も多そうだ。外国人としてはやや特殊な環境とは言えるけれど、上海という単位で見れば高層マンションよりもこちらの生活の方がマジョリティと言えるのではないだろうか。

外はド・ローカルだが一応中はリノベーション済

長屋形式であるため小さな共用部分もある。また密集しているため、超少数派の外国人として住んでいるが近所のコミュニケーションは結構多い。娘と玄関をでて近所の住人と会えば、「あら、お出かけ?今日も可愛い服着てるわね」云々と話が始まる。こういう環境を見て、昔の下町のようだと言われることも多い。
コロナ禍においてもお互いマスクをしていることを除いてはそこまで大きく変わることはなかったけれど、やはり話題は変わった。ダイヤモンドプリンセス号が地獄と化していたあの頃ぐらいから始まっただろうか。中国では既にピークを超えつつあったのもあり、日本の対応の不味さが中国から見ても際立って見えていたようだ。日本人である我々に対して感染している危険性を確かめているかのようにしつこく「日本に帰っていないか」を聞かれることもあった。特に煩かったのは入り口にいる門番。

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近所のおばちゃんに話しかけられる娘

“ゲーテッドコミュニティによる管理”

中国は各住区が塀で囲まれていて、入り口に門番が24時間いる。いわゆるゲーテッドコミュニティのような形式である。高級マンションに比べて門番の質はかなり落ちるけれど、私の住むローカル住宅地においても形式は変わらない。まぁうちの門番の質が低いのもあるが、普段はただそこにいるだけ。近所の人とお喋りしたり、居眠りしたり。そんな感じなのだが、このコロナ禍においては違った。彼は使命感に満ちていた。

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この小屋で24時間体制の門番。
しかし夜担当のおじさんは寝ている。

彼に与えられていた役割は上海外から来た人の出入りを確認することだった。日本でも現在「県外への移動はお控えいただきたい」と小池都知事は“要請”しているわけだが、中国においても武漢などの完全なロックダウン(中国語で封城)を除いては、中国でも今の日本同様に完全なる移動制限をしていたわけではない。ただ日本と異なるのが国内の移動であっても省を跨ぐ移動であれば、14日間の隔離が課せられた。これは“要請”ではなく“強制”である。
前回健康コードの説明をしたが、結局健康コードを確認するのは人間である。移動は許可するけれども、その先のチェックはかなり厳格であったので、そのチェックをする場所はかなり多く、必要な人員は膨大である。その役割を担う末端の一人が住区の入り口の門番である。私の場合この間ずっと上海にいたため、14日間隔離されることはなかったが、健康コードにより隔離対象者だと分かればこの門番のおじさんから日本で言う町内会にあたる居委員に連絡がいき、隔離対象としてしっかりマークされるわけだ。地域や時期によって対応が異なっていたが、場合によってはドアを開けたらすぐにわかるようなセンサーをドアに設置されたりもしたようである。そんな状況でどのように生活するのかという感じだが、配送された食品やゴミ捨てなども住区や居委員がサポートして、完全なる隔離が実現されたのだ。

我が家が実際に体験した地域の役所による管理方法
(まだ日本で感染拡大する前だったので少し緩かった)

“社会主義がもたらす強固な管理体制”

今の話の流れの中で出てきたこの管理ピラミッド構造を一度整理したい。末端にはゲーテッドコミュニティである住区(中国語では小区)があり、そのいくつかの住区を束ねるコミュニティ社区があり、その社区ごとに先ほど出てきた町内会的役割の居委員が設置されている。さらにいくつかの社区を束ねる街道という単位がある。そこから上は日本と変わらず区があり、市があり、そして最上位に国があるわけだ。さして日本とは変わらないようにも見えるが、そこが社会主義による一党体制であり各単位が共産党の下部組織のような働きを担うわけである。この組織がコロナ禍における厳格管理を実現させ、早期の収束に大きな貢献をした。

国 ◀ 市 ◀ 区 ◀ 街道 ◀ 居委員/コミュニティ ◀ 住区

普段外国人として生活していると、生活の範囲にまで共産党の影響力のようなものが入ってくることはないが今回のコロナ禍においてはそれが顕在化された。普段何も仕事をしていない住区の門番が突如緊張感を持ち、あちらこちらで目を光らせ、居委員が街の各地に机を置き、市外から来ている人がいないかを見ているのだ。もう上海で生活して8年ともなれば、逆に日本にいる方が非日常でこちらにいるのが日常なので緊張感なく過ごしているわけだが、このパブリック空間を見張る様々な目が日常においても潜んでいると思うと少し見方が変わってくるような気さえした。

このころは至るところに外地から来た人の登録を求める張り紙があり、
どこの住区の入口でも出入りを確認する人がいた

“街を見張る監視カメラの目”

この監視する目の存在はコロナウイルスの過渡期を越えた中国においては、またその存在を潜めつつある日常に戻ってきてはいるが、街を歩くとそれとは異なる視線を感じることに気づく。その視線の先にあるのは監視カメラである。監視カメラ自体はコロナウイルス対策とは直接的に影響を与えているわけではないが、中国の監視社会を語る上で欠くことができない。中国には2017年末の時点で1億7000万台もの監視カメラが設置されていると言われているが、2020年に6億台に達すると言われていたので、もう今その水準に達してるかもしれない。確かに生活の中でも目につくようになってきた。

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見えるように設置してある街中の防犯カメラ

最近よくあるのは横断歩道の信号機と一体型の監視カメラ。私が職場のオフィスビルにたどり着く前に最後に渡る横断歩道にもあって、毎日これの視線を感じている。これの恐ろしいところはモニターを備えていて、信号違反者がそこに映し出されるところだ。違反者の顔がズームアップされた写真までもが表示され、ただ単に記録しているだけではない威嚇を与えている。日本でも監視カメラは特定の地域で設置されているが、日本と中国には設置の仕方に違いがあり、日本は気づかれないように設置しているが、中国はいかにも威嚇するかのように目立つように設置されている。

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信号機と一体型の監視カメラ

“デジタルとリアルが補完する管理と公共性”

今回の主題は都市構造と社会主義から監視社会を見ることにあるが、やはり背後にはデジタル社会があり、リアルとデジタルが通貫している。信号機一体型の監視カメラのモニターの例から見ても、顔認識・画像認識の水準はやはり世界の先頭を走っている。ただ単に映像が記録されるだけではなく、デジタルデータとして記録され、顔認識から個人IDと結びつくところまで来ているのだ。
日本ではPCRの検査後陽性になった患者でさえ、連絡が不通になるケースが多発しているようだし、陽性になったにも関わらず夜の街に繰り出してウイルスをばら撒いたという話さえあった。中国でもコロナウイルスに関する問診に虚偽申告をしたという話はあったが、極刑になったという話もある。とはいえ、これは稀な例でここまでの中国の監視体制を見れば虚偽申告をしても高い確率で見抜かれてしまうことはわかるだろう。
実際この抜け目のない管理社会を前に悪事を働く力を奪ってしまったのか、犯罪率は大きく低下していて、殺人犯罪の少ない国の一つとも言える水準になった。監視社会は自由を奪うのか、あるいは犯罪率の低下が自由を生み出すのか。パラドックスに陥るような問いかけであるけれど、このリアルとデジタルが補完し合う監視社会がコロナウイルス対策において大きな成果をあげたのは間違いない。

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