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何をするかではなくどう捉えるか

SNSでの投稿に始まりブログを書いたりする行為は自分の自己承認欲求を満たすだけのようで毛嫌いしていたが,
自分が考えていることを外に発信してみるのも面白いかもなと少し気が変わり,投稿してみることにした.

初回のテーマは
何をするかではなくどう捉えるか

世間でもよく言われることだが,大学生になるまでは「自分が何をしたいか」や「どう生きていきたいか」などについて特に思考することなく,
「勉強が好きだから頑張ろう」くらいのスタンスで部活動など他の活動にも取り組みながら流れに身を任せて進んできた.学歴だけ見れば,敷かれたレールの上を順調に走ってきたのである.

大学に入ってからは,面白そうと思ったことには積極的に取り組みながらも,あらゆる人の考えや行動の事例を知りたいという気持ちでキャリアについて現役学生と社会人で語り合う場を創る学生団体に入った.

そのこともあり,「自分はこれから何をしていきたいのだろうか」などについて考える機会には恵まれた.卒業生の方々とお話することで,これまでの自分には無かった考えや活動を知り,学びも多くあった.

しかし,「生涯を通じて自分がしたいこと」は見つからなかった.
というより,そもそも
誰しもが「人生の目標」みたいなものをもって逆算して行動しているという前提が誤っていた
ことに気付かされた.
人は経験をストーリー立てて綺麗に話すが,それらは結果論であり後付けの作り話であることが多い(と自分は思っている).

では,自分はどう生きていくのかということを考える.ビジョンや夢があるだけでお金がなければ選択肢は限られる一方で,物質的に豊かであっても精神的に豊かであるとは限らない.

現時点での自分なりの結論は,
即今の物事に対して心を尽くして生きる
ということである.これについてこれから述べようと思う.

人は自分の生を意義あるものにしたいと願う.そのときによく取る方法が,他者を通して自己を確認するというものである.これが他者に認められたいという自己承認欲求にも繋がる.

しかし,他者を含め外界は自分で制御できず,周囲の状況に応じて容易に変化する.その結果,虚像の自己にしか出会うことができずに虚無感に襲われる.人の評価を気にして一喜一憂する.

真実が,自己が在ることは分かるが,それを知ろうとした時点で自己の認識上からは出ない.言葉による制限もある.自分で見ることはできないのである.

ニーチェの言う「超人」になりたいが,人生の目標なるものなど見つからず,気がついたら「末人」になっている.

ではどうするのか.それは,ただ目の前のことに全力で向き合うことではないかと思う.

何かに夢中になっているときに心から充実感を得る.このとき,「自分とは何か」とか「生きる意味とは」「自分にとっての幸せとは」などと一々考えていない.
幼い頃は,近所の散歩や食事など何をするにも夢中で,今の自分からしたら取るに足らない些細なことにも喜びや感動を見出していた.

自分勝手に外界をメタ認知して,現実に対して線を引くから生きづらくなる.本来,成功と失敗も,善悪も,勝ち負けも,幸不幸も,自分と他者もない.

一つの事実に対する捉え方は,時や状況によって大きく変わる.「振り返ると,あの頃の失敗が糧になって今回の…」というような話はよく見聞きする.
任意の事象に対して捉え方を自分で変えられる力が,自分たちのもつ「自由」であり,その気になれば今この瞬間にでも幸せになることができる.

まず今の自分にできることは「即今の物事に対して心を尽くして生きること」ではないか.
自分と外界を隔てるのではなく,我を忘れて何かに夢中になることによって一体となり,そのうえで,自分が今幸せであるという捉え方をするのである.

ここで注意しなければならないのは,「夢中になるために努力しなければ,頑張らなければ」と自分を追い詰める必要はないということである.
思うように結果が出ないとき,「これでは努力不足だ」「人以上に頑張らなければ」と自分を責める傾向が自分は強い.こういった性格だから,大学受験に始まりこれまで比較的上手く進んできたのかもしれない.

しかし,努力や能力には限界がある.時間も有限である.自分を追い込む気持ちも度を越すと害にしかならない.幼稚な完璧主義は身を滅ぼす.

「なせばなる」ではなく,「なるようになる」.努力する気持ちや強い意志は何も考えずとも湧くべきときに自然と湧いてくるものである.

ここまで自分の考えを長々と述べてきたが,頭で分かっていても実践は難しい.
人に怒られるとすぐにしょんぼりとしてしまう.褒められるとすぐに調子に乗る.自分の頭の中だけで留めておけば良いことをわざわざ"note"に書くというこの行為自体が自己矛盾している気もする.
それでも,ここで述べた考えを頭の片隅にでもおいて生きていきたいなと思う今日であった.

ここまで読んでいただきありがとうございました.気が向いたらまた書いてみようと思います.

参考文献

「非ずのこころ」形山睡峰(エイチエス)

「猫の妙術」佚斎樗山(草思社文庫)

「『宇宙の音楽』を聴く」伊藤玲於奈(光文社新書)

「論語物語」下村湖人(講談社学術文庫)

「メルヒェン」ヘルマン・ヘッセ(新潮文庫)

「夜と霧」V・E・フランクル(みすず書房)

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