ヒップホップとジャズやロックとの融合が破壊的イノベーションを創造するヒントを教えてくれる
このことに異論を唱える人は ほとんどいないでしょう
このことにも異論を唱える人は 少ないでしょう
この問いには モゴモゴとハッキリしない回答をする経営陣は多いのでは?
組織がイノベーションを起す場合にどんな構造をとるべきか?
『価値観の違い』と『思考法の違い』で4つの領域に分けてみます
人はそれぞれの『価値観』があって 「何を良し」として「何が悪い」という善悪をどう捉えるかという『ものさし』は違います
この『価値観』が違い過ぎると 混乱・対立 に繋がりやすいのは事実です
『破壊的イノベーション』が創造できる組織構造
同一組織内では
企業文化の違う企業同士のコラボ オープンイノベーション で
上図①【価値観の違い=小】【思考法の違い=小】 は『持続的イノベーション』が起こる可能性がありますが
”なんちゃってダイバーシティ” です
上図②【価値観の違い=大】【思考法の違い=小】
これは”無駄ダイバーシティ”です
ジャズとヒップホップの融合による破壊的イノベーション
時代背景や流通市場の状況も違いますが
ジャズ専門レーベルであったブルーノートで一番売れたレコードは?
1991年にロンドンで結成されたヒップホップ・グループ【US3(アススリー)】のファースト・アルバム『Hand on the Torch』(1993)です
ニューヨーク・ブロンクスで産声を上げた ヒップホップ が ロンドンに渡り モダンジャズ・レコードをサンプリングするようになっていき
1992年 ブルース・ランドヴァル(当時のブルノート・レコードの社長)は グラント・グリーン(ジャズ・ギターリスト)の曲を無許可でサンプリングしていた【US3】と正式契約を結び ブルーノートの音源を無制限の使えるようにしました
【US3】は ハービ・ーハンコックが1964年に発表した「Cantaloupe Island」をサンプリングすることで 新しいヒップホップ・トラック「Cantaloop (Flip Fantasia)」を作り出し大ヒット
ここから ヒップホップ・ムーブメント が世界中に広がっていったと言っても過言ではありません
『おじさん』と『若者』のダイバーシティー&インクルージョン
ヒップホップとジャズの融合
変革の目詰まり原因になるオッサンという人種
昔気質のジャズ・ファンである『オッサン』に若者が
と声をかけたら 『オッサン』の回答は?
更に若者が『オッサン』に問いかけます
ここで『オッサン』は 声には出さすに 心の中で呟きます
この『オッサン』のリアクションこそが 変革目詰まりなんです
自分が知っている範疇用の「ものさし」しか持っていないので 自分が知らないモノゴトには『まず否定から入る』という習性があります
『故きを温ねて新しきは無視する』
これが『オッサン』という人種の特徴です
ヒップホップが落ちぶれかけたロッカーを救った
1970年代半ばに絶頂期を迎えていた エアロスミス
1979年 ギターリスト ジョー・ペリー脱退
1981年 ギターリスト ブラッド・ウィットフォードも脱退
80年代前半には 忘れられたロックバンドに
1984年 エアロスミスは オリジナル・メンバーに戻って 8thアルバム『ダン・ウィズ・ミラーズ』をリリースしましが ヒットせず、、、
1975年リリースのエアロスミス3rdアルバム『闇夜のヘヴィ・ロック(Toys in the Attic)』収録曲 ♬Walk This Way♬ は
既にヒップホップファンに愛されていて
イントロの4小節をループしてラップ していました
ヒップホップ・グループ 【RUN DMC】は
♬Walk This Way♬ のリフをサンプルして 独自の曲を作ろうと思っていた矢先に
プロデューサーのリック・ルービン(デフ・ジャムレコード創業者)から
提案されたんです
【RUN DMC】は 当初
と難色を示したのですが、、、
この曲が大ヒット!
ヒップホップの新たな扉を開いた 破壊的イノベーション
この曲に力を借りて エアロスミスは ロック・シーンの最前線に復活!
【おじさん(リック・ルービン)】 と 【若者(RUN DMC)】そして【おじさん(エアロスミス)】のダイバーシティ&インクルージョン
ヒップホップとロックの融合
自己変革(Reform of Sense)
『自己変革』とは
『自己変革』とは
『自己変革』とは
組織を変えるのは?
若者
よそ者
変わり者
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