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ブルースは奴隷解放後に少し自由な時間を得た黒人が創出したイノベーション

南北戦争後の南部再建期に創造された素晴らしい音楽です。

1865年の奴隷解放によって食事・睡眠・労働以外の自由な時間を得た
黒人たちが「神ではなく自分たちについて歌いだした」のが始まりです。


「ブルース」の起源は諸説ありますが、「ワーク・ソング」や「フィールド・ハラー」そして「黒人霊歌」のエッセンスも加えて形成されていきました。

自らのおかれた理不尽な境遇を歌に託した「ブルース」は様々な文化と融合
していく中で、アイルランド人やスコットランド人などの白人たちが持ってきた「バラッド」が融合されてできたものという説が一番の有力説です。


「バラッド」とは?
主にイギリスやアイルランド、スコットランドなどの民間伝承から生まれた歌謡の一種で、物語を歌ったものを指し、古くから伝わるものが多く、中世の叙事詩や伝説を題材にしているものもあります。

「バラッド」の特徴としては、簡潔な詩形やリズムの単調さ、情緒的な表現、そしてしばしば悲劇的な物語が挙げられます。


黒人音楽研究家のリロイ・ジョーンズの著書「ブルース・ピープル-白いアメリカ、黒い音楽( 出版社:平凡社 刊行年:1995年)」で次の3つの特徴を挙げています。

✅ 「ブルース」は黒人が初めて完璧なアメリカ語で作った音楽
✅ 「ブルース」は黒人が初めてソロで歌った歌だった
✅ 「ブルース」は黒人が初めて伴奏を伴って歌った歌であった

シェアクロッパー(借地小作人)となって、奴隷時代と変わらぬ酷い仕打ちを受けていた黒人の、心からの叫びが「ブルース」という音楽スタイルとして形成されていきました。


19世紀後半に、南部にギターとハーモニカが入ってきて、現代の「ブルース」という音楽スタイルが形成されていきます。

奴隷解放後から数十年間で、「ロック」などの現代ポピュラー・ミュージックの基礎となる「ブルース」という音楽形式を、創造していったアフリカ系アメリカ人の発想力には驚かされます。


「ブルース」の最も知られた音楽的特徴は、12小節で、歌詞はAAB形式(Aの反復の後Bでオチがつく)というものです。

<サンプル>Call It Stormy Monday - T-Bone Walker

   They call it stormy Monday, but Tuesday‘s just as bad
   They call it stormy Monday, but Tuesday’s just as bad
   Wednesday‘s worse, and Thursday’s also sad

   みんなは嵐の月曜日と言うけど、火曜日だってひどいさ
   みんなは嵐の月曜日と言うけど、火曜日だってひどいさ
   水曜日もひどいけど 木曜日は悲しくなるよ


「ブルース」の「ブルー(青)」は、『憂鬱』という意味も含んでいます。

アフリカ系アメリカ人は、奴隷解放後も土地所有者はなれずに「借地小作人」として厳しい生活を余儀なくされ、やり場のない怒り、そしてブルーな感情を吐き出すのが「ブルース」だったのです。

「ブルース」の歌詞には、政治的メッセージや歴史的な事件などに関してコメントすることはなく、個人的な苦悩を歌い上げるのも特徴です。


W.C.ハンディは、自著『Father of the Blues』の中で、1903年にミシシッピー州トゥークルーの駅で出会った黒人の音楽家について書いています。

私が眠っている間、やせた、締まりがない身体つきのニグロが私の横でギターを弾き始めていた。 彼の服はぼろきれでした。 彼の足は彼の靴からのぞいていました。 彼の顔には、年齢を積み重ねた悲しみが感じられた。 彼が演奏するとき、彼は鋼棒を使用したハワイのギターリストによって普及した方法で、ギターの弦にナイフを押し付けました。 ... その効果は忘れられませんでした。 彼の歌にも、私は心を奪われた
(引用: W.C. Handy (1919). Father of the Blues. Macmillan.)

「ボトルネック奏法」と呼ばれるギター奏法


スライド奏法の一種であり、ギターの弦を指で押さえずに、ビンの首(ボトルネック)やナイフの柄などを使って演奏する方法です。

W.C.ハンディの記述通りならば、1903年には南部の黒人が「ボトルネック奏法」を行っていたことになります。

「ハワイのギターリストによって普及した方法」と記載されていますが、当時、南部のアフリカ系アメリカ人とハワイの人が遭遇したのでしょうか?


この奏法が、最初に使われた時期については、はっきりとした記録は残されていませんが、19世紀末から20世紀初頭にかけて、南部のアフリカ系アメリカ人のミュージシャンたち(デルタ・ブルースマン)が独自に創造した開発されたと考えていいと思います。


いずれにしろ、「ブルース」の代名詞の一つになっている「ボトルネック奏法」を19世紀後半に、創造していたアフリカ系アメリカ人のイノベーティブ発想には驚かされます。


【1903年がブルースの年に制定された】

19世紀後半には「ブルース」という音楽スタイルが、存在していたという様々な文献や記録からも明らかにされていますが、当然のことながら、当時は、まだ録音技術がなかったので、この当時の「ブルース」の音源は残されていません。

ギターが最初にアメリカにもたらされたのは、 16世紀にスペイン人によるコンキスタドールの到来によるものとされています。

奴隷制時代、農園主たちは彼らが太鼓の音を暗号として連絡をとりあうのを恐れ、打楽器の演奏を禁じていました。
そのかわり、比較的に安価で購入できる弦楽器の演奏は大目に見られたという文献もあります。

南北戦争後に解放された黒人たちが、新たな自由な生活を始める中で、ギターを手に入れることができるようになり、「ブルース」という音楽スタイル形成されて、自分たちの文化を表現する手段として、さらに広まっていったと考えられます。

2003年にアメリカ合衆国議会で「1903年がブルースの年」と宣言され、ブルースの生誕100周年を祝うことが正式に決定されました。

「1903年がブルースの年」と宣言された、いくつかの理由が考えられます

 ✅ W.C.ハンディ(後に「ブルースの父」と呼ばれる)が旅行中に初めて本場の「ブルース」に遭遇した年

 ✅ アメリカで初めて黒人が主役となったブロードウェイミュージカル「In Dahomey」が上演された年

しかし「1903年がブルースの年」と決定されたことに関しては、反対意見も多くありました。

一部の人々は、ブルースの起源を特定することができず、他の音楽の影響を受けて発展してきたと主張する人、また、ブルースの発祥地をミシッシッピー州デルタ地帯と限定することにも疑問を呈する者もいました。


  • ブルースがアメリカ文化に与えた影響が大きいと認識された

  • ブルースの歴史的価値が認められた

  • ブルースの音楽的な特徴が評価された


生誕年がいつに決定されたとしても、「ブルース」がアフリカ系アメリカ人の文化的遺産であり、その重要性が公に認められたことは、喜ばしいことです。


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