【雑感】自分が知っている限られた範疇でしか判断できないことの愚かさ
マイルス・デイヴィスがアコースティックからエレクトロニック化していった頃から使われるようになった『クロスオーバー』『フュージョン』という言葉
異なる分野の物事を組み合わせて新しい物事を作り出すこと(融合)
この発想は VUCA時代の今だから注目したい大切なことでは?
『In A Silent Way(1969年)』はジャズ・シーンを一変させた?
従来のアコースティック楽器に限界を感じつつあったマイルス・デイヴィスがエレクトロニック化していったアルバム『In A Silent Way(1969年)』
楽曲「In a Silent Way」は ジョー・ザヴィヌルが作曲したものでしたが
更に マイルスは ギターリストのジョン・マクラフリンに対して 次の指示していました
レコーディング終了後 ジョン・マクラフリンは 一緒に参加したハービー・ハンコックにこう言ったそうです
レコーディングに参加したミュージシャンですら マイルスの動きには混乱するのですから 当時のジャズ・ファン及び評論家の間でも マイルスの大胆な改革を「認める」と「認めない」と論争となるのは当然でしょう
後々には このアルバムから派生してクロスオーバー/フュージョンというジャンルが誕生して『ジャズ・シーンが一変した』というのが定説となっています
マイルスの動きは 従来の行き詰まったジャズ・シーンに新たな活路を切り開いたのは間違いないでしょう
事実 このレコーディングに参加したメンバーの多くは 後にフュージョンの中心的なミュージシャンになっていきました
エレクトリック・マイルスの流れ
マイルスは「ジャズの枠を越えた名作」と言われる自身初のグラミー賞を獲得した ロック色を強めたファンク『Bitches Brew(1969年)』をリリース
黒人初のボクシング・ヘビー級チャンピオンになった【ジャック・ジョンソン】のドキュメンタリー映画のサントラ『A Tribute to Jack Johnson(1970年2月18日録音)』をリリース(マイルスの作品中で最もロック的な作品)
当時のコロンビア・レコードの社長だったクライブ・デイヴィスの勧めもあって 1970年頃からマイルスはロックの演奏会場『フィルモア』に頻繁に出演するようになります
モダン・ジャズの帝王と言われていたマイルスが 若いロック・バンドの前座として出演していました
『フィルモア』でのライブは 正式に発売されたレコードで確認すると
1970年3月7日『Live at The Fillmore East (March 7, 1970) It's About That Time』
1970年4月10日『Black Beauty』
1970年6月17日~20日『At Fillmore: Live at the Fillmore East』
『Live-Evil』には 1970年12月19日に『セラー・ドア』で行われたライブの録音が含まれています
マイルスが『フィルモア』などのロックのライブハウスに出演するようになったのは 経済的理由もありましたが 上記CDなどを聴く限りでは ロックのビートは取り入れながらも ロックと言えるサウンドではなく 激しいインプロヴィゼーションを展開しています
私は『In a Silent Way』以降のアルバム・ジャケットを見て
「ブラックとアフリカ」 マイルスがずっと心の奥底で感じていた『アメリカの人種差別』と対する思いが伝わってきます
そして 発売当初は これまでのジャズからはあまりにも逸脱しすぎていたため多くの人に理解されなかった問題作『On the Corner(1972)』をリリース
このアルバムも黒人だから創造することができた ファンク・ミュージックのマイルス流解釈と思って 私はお気に入りの一枚です
マイルスの真の狙いは何だったのか?
音楽評論家の中山康樹氏は著書『マイルスを聴け!』の中で【ジャズ初心者に勧めてならないCD】として
ジョン・コルトレーン『Ascension(1965)』 オーネット・コールマン『A Collection Improvisation(1960)』 セシル・テイラーの全アルバム
そしてマイルス・デイヴィスの『On the Corner(1972)』を挙げています
しかし中山康樹氏は
と『On the Corner』に対するジャズ・ファンの感性を批判しています
と冗談めかした表現をしていますが アコーステック・ジャズに拘りを持っている大人の一部には ジャズ入門者に対して どこか人を馬鹿にしたような態度が存在することは否めない事実です
『On the Corner』はセールス不振で一時は廃盤に追い込まれましたが マイルスの死後 現代のクラブ・シーンにも多大な影響を与える一枚として再評価されて ジャズの枠から大いにはみ出した屈指の名盤と言われています
この世代間ギャップは どんな世界にもあるのでしょうが 従来のジャズ・ファンは「電子楽器アレルギー」とも思える偏見によって『On the Corner』を聴くこともなく 否定していたんでしょう
どこかDXが推進できない 昭和アナログ世代に似ている気がします
そしてマイルス自身の真の狙いは 次の言葉に全てが現れています
ジャズは 黒人の音楽とクレオールの音楽が融合して生まれたもので 白人西洋音楽からの脱却をはかる音楽でもあります
即興演奏をベースとするジャズは 西洋音楽への挑戦でもあり 固定された制度を疑って そして壊して 新しいモノを生み出す イノベーティブな黒人の音楽です
マイルスは 黒人差別による不当な扱いを受けたことも多く「黒人としてのプライド」と「白人におもねらない」という思いがとても強かったことは明らかです
アフリカのポリリズムを使うことで 時代の最先端を行く黒人の音楽を創造することで クリエイティブなパワーを見せつけたかったんだと思います
『偏見』『現状維持バイアス』こそが 時代遅れやガラパゴス化になっていく最大要因でしょう
マイルス・デイヴィスというイノベーター
日本型経営企業は 「良い」と「悪い」 「好き」と「嫌い」 「古い」と「新しい」 「若者」と「老人」など 様々な事象を2項対立型で分類して整理することが大好きな気がします
この考え方が クロスオーバー フュージョン(融合)することへの大きな障壁になっていて イノベーションが起こらない要因でしょう
『互いに矛盾するが どちらも妥当な二つの命題が存在する』
このことを融合させるには『慎重さ』と『大胆さ』という考え方が必要です
✅『新しいことに興味を持ち続け 自尊心に創造の邪魔をさせない』
マイルス・デイヴィスは ジャズ出身のアーティストであるだけであって 音楽・芸術・文化・ビジネスなどを創造してきたイノベーターで ジャンル分けして考えることの弊害を教えてくれたと思っています
企業戦略用語で「差別化戦略」という言葉がよく使われますが 他社を基準として考えるから「差別化」という発想になるのであって 企業として創造すべきモノゴトは「独自化」でしょう
人はそれぞれの価値観や考え方があって「違う」のが当たり前なのだから その「違い」を認める『両義性の認識』ということが重要です
自分が知っている限られた範疇でしか判断できないことの愚かさ
『Challenge』の同意語は 『Risk Taking』
『現状維持』の同意語は 『衰退』
1975年には 幼いころからずっと音楽に接してきて 人生で最も大切な音楽を諦めるという苦渋の決断をした マイルス・デイヴィス 49歳
6年の沈黙を経て破ってリリースしたアルバム『The Man with the Horn』
マイルス・デイヴィス 55歳
私に いつも 勇気を与えてくれる マイルス・デイヴィス
1991年9月28日午前10時40分 肺炎と呼吸不全などの合併症のため カリフォルニア州のサンタモニカの病院で死去(享年65歳)
自分が知っている限られた範疇でしか判断できないことの愚かさ
マイルスは教えてくれた
知らないことが多すぎるから 勉強し続ける
新しいことを始めるのに 遅すぎることは絶対ない
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