「アーバン」という音楽用語で考えるマイノリティとマジョリティの意識格差
2020年6月、全世界で「Black Lives Matter」ムーブメントが展開されていた中、音楽業界に激震が走りました。
それは、ユニヴァーサル・ミュージック傘下のリパブリック・レコードが「アーバン(Urban)」という音楽用語の使用を中止すると発表したのです。
この宣言は、長年にわたり音楽業界で使用されてきた言葉が、いかにしてマイノリティを不当にカテゴライズし、差別的な意識を助長してきたかを浮き彫りにしました。
「アーバン」という言葉はもともと、黒人DJフランキー・クロッカーが1970年代に提唱した「アーバン・コンテンポラリー」というラベルに由来します。
当初は都会的で洗練された音楽を表現する肯定的な意味を持っていましたが、やがてその意味が変質し、ブラック・ミュージック全般を白人広告主に受け入れやすくするための隠れ蓑となってしまいました。
つまり、黒人アーティストを一括りにし、彼らの多様性やクリエイティビティを限定的な枠組みに押し込む道具と化したのです。
この背景には、音楽業界におけるマイノリティとマジョリティの意識の違いが深く関わっています。
Tyler, The Creatorがグラミー賞の受賞スピーチで指摘したように、「アーバン」という言葉は、Nワードをポリティカリーコレクトに言い換えただけのような欺瞞的な言葉として使われてきました。
音楽のジャンルを超えた革新的な作品が、単に「ラップ」や「アーバン」に分類されることで、その本質が歪められてしまう現実があったのです。
『特権』を持っているマジョリティの利権が絡む「隔離と不平等に根ざしたマーケティング構造」がある限り、「問題の本質=人種差別問題」の解決は簡単ではないでしょう。
このような状況を変えるために、私たちが未来のためにできることは何でしょうか?
まず第一に、全ての分野で多様性を真に尊重する意識を持つことが求められます。表面的な言葉の変更や形式的な取り組みに留まらず、根本的な意識改革を進める必要があります。
個々人の個性や創造性を一括りにせず、多様性を尊重し続けて、それぞれの表現を正当に評価する文化を育むことが重要です。
マイノリティの声を尊重し、彼らの経験や視点を真剣に受け止める姿勢が不可欠です。
音楽が持つ力を利用して、より多くの人々に対して共感と理解を促すことで、より良い未来を築いていくことができると考えています。