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【歴史概要94】中央集権国家・ばら戦争(ランカスター・ヨーク・チューダー)

①百年戦争末期にシャルル7世をサポートしていたのが商人のジャック・クールである。ジャック・クールの部下たちは国王に協力をしフランス王権強化をはかっていった。

②中世初期の王権は諸侯たちのまとめ役ではあったが主従の契約関係でしかなかった。しかし集権化が進むと国家そのものが国王を中心とした制度や機構となっていく。

③それまでは国王最高顧問会議が最高議決機関であったが司法部門に関する高等法院(パルルマン)や財政に関する会計検査院(シャンブル・デ・コント)が独立した機関となった。パリのみならず主要都市に置かれた。

④王領徴収などのためのプレヴォという役人が機能しなくなりバイイやセネシャルという監視目的の役人が派遣されるようになった。売官制の始まりはこういった官僚制になる。

⑤百年戦争終結後はフランス内にあるイングランド領はほぼなくなった。当面の敵対関係は解消されたが、これ以後は神聖ローマ帝国・ハプスブルク家との対立が激化していく事になる。

ブルゴーニュ家の領地はフランスが併合したが、東隣のフランシュ・コンテや北部のアルザス・ロレーヌは神聖ローマ帝国領に編入されたからだ。

⑥百年戦争は1337年から始まるとされているが、実際はノルマンディー公のイングランド占領以来の歴史の蓄積で生じている。そしてフランスは百年戦争を通して中央集権に向かって歩み出していく事となった。

⑦1399年のクーデターでリチャード3世の従兄弟のヘンリー4世が国王となりランカスター朝が始まった。その後ヘンリー5世が王位を継承し百年戦争が再燃し、アザンクールで勝利した。

⑧1422年にヘンリー6世は王位継承をしてフランス王を兼任する。生後9ヵ月の即位となったがジャンヌ・ダルクの活躍と重なり大陸政策はふるわなかった。

1453年に百年戦争は終結した。成人となったヘンリー6世はばら戦争の混乱の中で役割を果たせなかった。

⑨ばら戦争はフランスとの和平を主張するランカスター家の和平派と戦争継続を望むヨーク家の主戦派の対立にあった。

⑩1455年に武力衝突をしヨーク家が勝利した。ランカスター家は低迷したが王妃マーガレットの指導でランカスター家が巻き返した。1459年の戦いで敗れたヨーク家はカレーに避難した。

⑪1460年にヨーク家がイングランドに逆に上陸して戦いに勝利した。ヘンリー6世を捕虜とした。議会はヨーク公の王位継承を認めずヘンリー6世の死後の継承が確認された。

⑫王妃マーガレットはヘンリー6世を奪還してヨーク家と戦った。

1461年にヨーク家のエドワードが勝利した。そしてヨーク朝を開始した。

⑬ランカスター家は1470年にヘンリー6世を再度王位に就ける事に成功したがヨーク家の巻き返しで失敗した。ヘンリー6世は処刑され、1470年代にエドワード4世の治世となった。

⑭1483年にエドワード4世が亡くなった。弟のリチャード3世が即位した。これにランカスターの流れをくんだヘンリー・チューダーが戦った。1485年にリチャードを廃位させた。

そしてヘンリー・チューダーはヘンリー7世として即位しチューダー朝を開始した。

⑮ヘンリー7世はヨーク家の王女であるエリザベスと結婚をして両家対立を終焉させた。国王直属の星室庁裁判所を設置し王権強化をはかった。度量衡を統一し貨幣制度を安定させるなど経済政策を行った。

⑯百年戦争を通してイングランドもフランスも中世封建社会と決別して絶対王政に向かって整備を始めていった。

■参考文献
『30の戦いからよむ日本史 上』 関 真興 日本経済新聞出版社

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