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ロックなデザイン会社を作るはずが、初年度の利益わずか10万円で白目

「御社の初年度の純利益は、10万円です」
税理士事務所の社員さんが淡々と言ったとき、頭のなかが真っ白になりました。DM、会社案内、キャラクターデザイン……仕事は死ぬほどありました。もう、深夜まで働き詰めです。大変でしたが充実感はありました。だからこそ、「かなりイケてるデザイン事務所だ」と思い込んでいました。

それが、1年でたった10万円の利益とは…。
ふと隣を見ると、所員が白目を向いています。

私自身、「いやいや、そんなわけ無いでしょ。あれだけ数をこなして、深夜までやって、それなりにお金も入ってきていたし、計算が間違ってるんじゃないですか?」と、問いただしたい気持ちでした。でも、なんとか絞り出した言葉は、

「これからどうしたらいいんでしょう?」です。

本当に情けない。。。
そして、もっと情けなかったのは、その後に続いた税理士事務所の方の返事でした。

「えっと、、、私は税理士じゃないから分からないんです・・・・・」 

ああ、来年もこの税理士事務所に頼んでいたら、ウチは絶対につぶれる。と悟った瞬間でした。

このnoteは、こんな経営の素人同然だった私たちTRUNKが「自分らしく幸せに働ける、中小企業の経営者を増やす」というミッションに挑戦をしていく物語です。

それは、ポール・ウェラーに憧れた楽器の弾けない青年が、ロックな生き方を模索するところから始まりました。

ロックに生き方を問われて


私の名前は笹目亮太郎と言います。茨城県笠間市で株式会社TRUNKというデザイン会社を経営しており、アートディレクターとして働いてます。アートディレクターと言うと「なんかかっこいい人生を送ってきた」と思われますよね?

とんでもない! だいたい、私は元々デザイナーではありませんでした。新卒入社でチェーンの衣料品店で、店長をしていたんです。でも、その仕事での将来が思い描けず、不安で不安で…。店内で人間関係のトラブルが起きて、疲弊していたことも理由だったかもしれません。

洋服屋さんの時代

そんなときバイトに来ていた女の子が、「こんな仕事が向いてるんじゃない?」と教えてくれたのが「グラフィックデザイナー」でした。当時の私にとってデザインは、すでに存在しているものであって「誰かが作り出している」なんて考えもしませんでした。だから、「デザインを生み出す仕事が世の中に存在するのか!」と衝撃を受けたんです。

しかもデザインの仕事は、Macという最新のパソコンを使うと言います。それを聞いてなぜか、「これこそが、ロックでかっこいい仕事ではないか?」と思ったのです!

「ロックか、ロックじゃないか?」当時の私にはそれがすべての判断基準でした。大のロック好きで、特に『ザ・ジャム』というバンドのガチなファン。ボーカルのポール・ウェラーを崇拝しており、ソロ活動になってからは、来日ライブにほぼ足を運んでいます。

ポールのなにがいいって、一言で言えば「モッズ」を体現しているところ。彼はいつの時代も、「自分ならではの最先端(Modern)を追求している」からです。普通、一斉を風靡したミュージシャンも、ときが経つと、「過去の人」という感覚になりますよね。

ポールはそこを自覚して、流行をキャッチしながら、自分の軸となる音楽とのバランスを絶妙にとっています。常に新しい表現をつくり続けているのです。私はこのスタイルに、たまらなくシビれました。「彼のようになりたい」と思っていたんです。本気で!!でも、肝心な楽器がまったく弾けません…そこで、せめてポールの生き方を真似したいと考えました。私が大好きな歌の1つ、「COSMOS」には、こんな歌詞がでてきます。

さいてやれる時間はない 運命が迫ってる
ムダにできる時間はない 選んだならば一刻もムダにしない方がいい

『COSMOS』の歌詞を和訳 

この一節が「お前はロックに生きるのか、生きないのか」と私の心を揺さぶりました。衣料品店を辞めて、デザイン業界に飛び込む決心をしたのです。

これはデザイナーじゃない!

恵比寿のデザイン専門学校でMacを学び、地元のデザイン会社に就職。でもしばらくして、ヒシヒシと違和感を感じました。そこでの仕事は、デザインというよりも、文字や写真を並べているだけのDTPオペレーションに近いと私は感じました。

和文フォントはほぼ1種類しか使いません。「とりあえず、つくって出して」的な仕事を求められていると感じたのです。私の思い描く「クリエイティブなものづくり」とは言い難い環境でした。

「あれ? これってロックな生き方となんか違う」。ただ、いいところもありました。「これをやってみたい!」と提案すると、「好きにしたらいい」と受け入れてくれる器の大きな社長さんでした。

デザイン誌を定期購読してくれて、「印刷会社に行って立ち会いたい」といえば、それもOK。仕事に直結する提案であれば、実現させてもらえました。仕事のやり方には疑問を感じながらも、さまざまなチャレンジが許されるという、ありがたい環境でもあったのです。

会社員デザイナーの時代

でも、入社4年目に転機が訪れました。ユニクロのロゴデザインで知られる佐藤可士和さんをはじめとする、「アートディレクター」という職業が注目され始めたころ、有名な講師陣が名を連ねる、「アートディレクター養成講座」がスタートしました。私は社長に、「この講座に行かせてください! 必ず会社にリターンをもたらします」と直談判。受講料と交通費を支給してもらって通えることになりました。

この講座に通えたことは、本当に大きな財産でした。当時、第一線にいたアートディレクターのお話を間近で聞いて、課題の講評までしていただけました。 私はここで「アートディレクション」のいろはを知り、現場でその知識を実践すべく、一年ごとに課題を決めて取り組んでいくことになります。
今年は写真、来年は印刷、再来年は書体を極めよう。

今は社内の若手へのアートディレクションに注力しよう……などなど。
こんなふうに取り組んでいたので、会社自体に来る仕事もだんだんクリエイティブなものが増えていきました。例えば、県立美術館の企画展のポスターや、都内に本社のある大企業の工場からの、パッケージの仕事。少しずつ、環境はクリエイティブ寄りに改善していったと思います。

きちんとデザインとディレクションを身に着けたい。それができれば、きっと独立してもなんとかなる。そう思って、がむしゃらにがんばりました。ですが一方で、「今の職場での仕事は自分が考えているデザインではない」という思いは、日に日に大きくなっていきます。

デザイナーは、もっと企業の本質に携わる仕事なはずだ。私のイメージどおりにやれば、もっと社会から尊敬されるような職業になれるのに。思い上がりもいいところですが、そんな自分の声に耐えきれなくなり、2008年に茨城県の笠間で個人事業主(屋号sprout)として独立しました。

あれだけ忙しかったのに、なぜ?

ここ茨城には、出版社や大手広告代理店はないけれど、そこに甘んじたくない。いい仕事をしている人達はいるのだから、その人達の役に立ちたい!2014年、法人化して株式会社TRUNKをスタートさせた私はメラメラと意欲に燃えていました。

その思いが叶って、県内では大きな企業のキャラクター、店舗のデザインなど、とにかくたくさんの仕事が舞い込みました。でもそれを、「ロゴ5万円」とか、「会社案内一式30万円」など、今では考えられない値段で受けていたんです。

これらの値段には一切根拠がありません。お客様を見て、「これなら払えるだろう」という雰囲気で値決めをしていました。しかも、作っていくうちに楽しくなって、「差額分はこちらで出しますから、予定していたよりいい紙を使いましょう」みたいな提案をしたこともあります。

今考えると相当恥ずかしいんですが、お客様にしたら「イイ会社」ですから、そりゃあ人気も出ますよね。だから、決算を迎えるに当たって「ものすごく儲かっているんじゃないか」と、ワクワクしていました。

それが蓋を開けてみたら、利益がたったの10万円です。
1年間必死で働いて残ったお金が…。


10万円なんて簡単に赤字に変わる金額ですし、来年はもっと悪くなる可能性が高い。「なんの余裕もないじゃん」と完全に自信を失いました。お金のことを考えたくないのに、お金のことばかり考えてしまう日々…。

お金が残らなかった一番の原因は、私が経営者ではなく、デザイナーのままだったからです。入ったお金は全部自分のもの。 超どんぶり勘定でした。利益がどれだけ大切か、まったく分かってなかったんです。

でも、お金の問題よりもっときつかったのが、

「一年間必死でやった利益が10万円ということは、自分たちの会社には10万円の価値しかない。=社会に必要とされていない証だ」と感じたこと。

「私のイメージどおりに経営すれば、デザイナーはもっと社会から尊敬されるような職業になれる」なんて意気揚々と起業したのに、そこにNOを突きつけられた気がしました。

自分はただの、「社会を知らないアマちゃん」でした。
税理士事務所の人が帰った後の事務所は、静まり返っていました。


「・・・・・・・・・・・」。

茫然自失状態で、解決策なんて出てきません。経営について何も知らないんですから当然です。どうすればいいんだろう・・・・・・・。

そうだ、あの人に相談してみよう!

当時、勢いがあって「この人は絶対成功する」と思っていた美容室の社長である横内尚樹さんに、「いい税理士さんを紹介してください!」と頭を下げてお願いしました。

もう本当に、ワラにもすがる勢いでした。
これが新たな試練の始まりになるとは、知る由もありませんでした。

次回に続きます



編集協力/コルクラボギルド(文・笹間聖子、編集・頼母木俊輔、イラスト・いずいず)