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差別や偏見のない本当のグローバル

「日本が一番」そんな考えではグローバル化できるわけがありません。はっきり言って日本は一番ではありません。どこの国にも良いところも悪いところもあるので、私はそもそも一番なんてないと思います。他と比べて何になるのか。他を見下げる考えこそ、そんなことを考えない人より何かが欠け悲しい心を持っているのではないでしょうか。うわべだけ良い顔をしていても心から他を受け入れる姿勢がなく自分たちの非を認めない、改善しよういう気持ちがないなら成長はしません。それに本当に先進国と呼ばれるべきなのかを疑うような現状が日本にはあることにも目を背けてはいけません。
そして他を見下げるという無意味な考えがあるから差別や偏見や決めつけが後を絶えません。
海外の方の声、差別で理不尽な思いをされている方の声をもとに、本当の日本の姿を今一度見つめなおすきっかけになればいいと思い活動を始めることにしました。
謙虚に世界から、周りから学ぶ姿勢を持てば日本はもっと良くなれるのではないでしょうか。

無意識の差別・偏見・決めつけの恐ろしさ

私はある時期まで差別発言をする人にあまり出会ったことがありませんでした。たまにみる差別人間のほとんどは、ひねくれてしまって悪い事と分かりながらもわざと問題を起こす子供のような感じで軽はずみに大変な発言をして、注意されると始めは不機嫌になりながらも自分のとんでもない発言を反省しているようでしたし、二度とそんなことは言わなくなっていました。
しかし私はある時期から地元を離れ県外へ引っ越しをしまして、そこでとても驚いたことがありました。
そこで出会った人たちは、別に常日頃から非常識なことを言っているわけでもなく、ひねくれた様子もなく一見まともで差別発言をするような人には見えませんでしたが、完全に差別になる驚くような発言を悪気もない様子で話すのです。差別を差別とすら気付いていないような様子で、本当に驚き正直これはとても怖いことだと感じました。もちろん差別と気付いているなら差別発言をして良いと言っているわけでは決してありません。前者のようなことも絶対にしてはいけないことです。しかし、無意識の内に差別しているということは、自分で良くない考えを持っていることすら分かっていないということになります。なのでもちろん反省もできません。
それは海外へ対してだけでなく、全ての差別や偏見、決めつけにおいて無意識のものがあり、無意識なので罪悪感すら感じていない恐ろしい大人たちを見て憤りを覚えたのですが、無意識ということは子どもの頃にこれは差別になるのだという当たり前の事を知る機会がなかったのかなと。もちろん自分で学べる人もいてますし学ばなくても当たり前に分かる人もいてると思いますが、自分でも学ばず知らないまま育った子の中には大人になってもそのまま無意識のうちにに差別してしまうような人間になってしまうことがあるのかと感じました。

子供の頃から差別や偏見のないあたりまえの環境

私はそこで出会った人たちの何気ない会話の中で、発達に遅れがある子や身体に障がいのある子を受け入れない公立小学校があることを知り、そんな公立の小学校があること自体に驚きました。
私が通っていた小学校では当たり前に受け入れていました。受け入れるというかその校区内の子供なんですから校区内の学校になら誰でも通えるはずですよね。私が通っていた当時は確か発達障がいの先輩が一人、後輩が二人、生まれつき腕がないなどの身体障がいのある先輩が数名いたように覚えています。当たり前に皆と同じ学校に通い皆と一緒に授業を受けていました。発達に遅れのある子も軽度から重度までありますし、またその日の調子などもあるので校内には特別クラスも設けており、日に数時間は特別クラスで過ごし残りは自分のクラスで皆と一緒に授業を受けていたように覚えています。また特別クラスにはいかず体育の授業も学科の授業も全て皆と一緒に受けている子もいました。
周りの皆も世話好きな子が多く、かわいくてかわいくて構いたくて仕方ないというのもあり、おせっかいになってしまうこともしばしばで、先生から「自分でさせてあげて」と言われたり、本人からも「自分でできる!」と言われてしまうこともあるほど(笑)そうすると周りは「〇〇君ごめんごめん!そうやな!自分で出来るよな。」と。また障がいのある子には飛び抜けた才能のある子が多いのは有名だと思いますが、本当にそうで「○○くん凄い!教えて!」など本当に自然に持ちつ持たれつ当たり前に仲良くしていました。誰も障がいのある子は自分達より優れていないなんてバカげた考えは持っていませんでした。子供は偏見もないので何でも当たり前に受け入れられるものなんです。当たり前のことですが、誰一人心ない発言をする子なんていまでんでした。もしいたとしたら周りからひどく非難されていたでしょうし考えを正すまで皆で話し合いになっていたはずです。もしかすると私たちの知らないところで大人たちの中には偏見を持っていた人がいたかもしれません。でもそれを良しとしない大人がきっとたくさんいて、また障がいを持った子の親御さん自身が積極的に動いておられました。その親御さんもそこの長女さんである◯◯君のお姉さんもとても素晴らしい人だったのをよく覚えています。
障がいのある方を下に見るような人が大勢いるのが現実の世界のようですが、そういう人は自分は障がい者の方より何か優れてるとでも思っているんでしょうか。一体何勘違いしているんでしょう。同じ「人」どうしてそんなことも分からないのでしょうか。
また私が小学校3年生の時には「おとなりの国、韓国を学びましょう」という授業があり、何せ3年生ですから難しい詳しいことまでは教わりませんでしたが、韓国と日本の昔の関係、今の関係、これから仲良くしていくべきであることことなどを学び、担任の先生がチマチョゴリを持ってきてくれて着せてくれたり、当時はまだ日本では韓国料理はとても珍しいものでしたが給食にも韓国のトックやチヂミなどを出してくれるようになり、珍しい給食に皆で喜んでいました。そして自分たちと同じ学年にも数名在日韓国人の子がいることを聞きました。その時の皆の反応は私も含め「へーそうやったんや?」という感じだったでしょうか。「日本人じゃないんや!かっこいい!」と言っている子はいましたが否定的な考えの子は当たり前のように誰もいませんでしたし、否定的な発想を持つこと自体誰も思いもつかないようなことでした。それに先生も話しの続きに「ちなみに◯◯君と◯◯さんも在日韓国人ですよ。」とさらっと普通に話すような感じでした。先生も何も特別なことではないから普通に話して、それを普通に聞いた私たちは友達が日本人だろうがどこの国の人だろうが当たり前に何も変わらない。知る前も知った後も同じ友達。それだけです。

子供の頃の環境がその人の考えや土台に影響する

その考えが当たり前と思っていた私たちは、実はこれは恵まれていた事だったんだということを大人になってから知りました。
人種や障がい者に対する差別があると聞いたとき、差別という考え自体を持たずに育った人間からすると、差別をするのはほんの一部どうかしている人だけがすることだと思っていました(失礼な意味などなく本気でそう思っていました)。人は普通は犯罪を犯さないのと同じように、人は普通はどんな小さな差別も当たり前にしないと思っていました。それが成長するにつれ色々な人に出会うと、まともなように見えていた人が差別意識を持っていることを知りとても驚き「〇〇さん在日韓国人らしいよ。」と小声でどうでもいい情報交換をしていたり「障がい者の子を受け入れる学校だったの?すごい学校だね。健常者に迷惑にならない?」「障がい者の子と一緒のクラスはちょっと。」「ダウン症の子がクラスの人気者?そんなことありえる?」「だから外国人は。」「海外は○○だ(決めつけ)」「外国人って〇〇でしょ。」「何でも日本が一番優れてる。」など他にもたくさんの言葉を聞いて日本の現状にショックを受けました。そしてそれと同時にこの人たちは一体どんな環境で育ってきたんだと思いました。

そして私や私と同じ学校で育ってきた子は、当たり前と思っていたけど実は差別や偏見に関しては本当に恵まれた環境で育ってこれたんだということに気付き、そして自分たちが当たり前に思っていたから気付かなかったとは言え、日本には差別や偏見がこんなにも存在する現状を知らなさ過ぎたことはあまりにも呑気で世間知らずであり勉強不足だったと思いました。
決して私の母校で育った人が優れているなどといっているのでは全くもってありません。もし私の母校が障がい児童を受け入れない学校だったら、私たちも同じような考えになっていたのかもしれないのですから。

差別撲滅の為子ども達が知ることのできる場所づくり

差別や偏見、決めつけに対しての間違った考えをなくすのは大人になってからでも決して遅くはありません。でも頭がカチカチになってしまってからより柔軟な時に良い考えを知ると吸収も早いですし、無理に良く考えなければという強制でもなく当たり前のことを当たり前に考るようになるだけです。
だから子どもの頃から当たり前に吸収できる機会があることはとても大切なんだと思います。しかし今の多くの大人がこんなことでは、子どもたちに知る機会すら与えられないのではないか、このままでは日本が壊れるんじゃないかと危機すら感じました。「最近の子供は」という大人が増えましたが誰がそうさせたのかを考えるべきです。子供たちは周りから、私たち大人から良いことも悪いことも色んな事を吸収します。
子供たちに差別や偏見、決めつけのない心が当たり前であることを当たり前に感じて貰い、色んな話を聞き自分で考えられる心豊かな人になれるよう、そして真実を知り選択肢を広げてあげる機会を作るお手伝いをすることで、少しでもこの国が良くなればと思っております。

この活動を始めたいと思ったのは、人の為になりたいみたいに聞こえるかもしれませんが、正直、そうなることで日本が私にとっても今より住みやすい国になり、私自身の為にもなると思っているからです。

差別・偏見・決め付け撲滅子供ワークショップ、広い世界を知って心豊かに、どんな子でも選択肢をたくさん持ってもらう為の世界を知るワークショップ、また児童養護施設での公演やワークショップ開催など活動費、他動物愛護団体への寄付をさせていただきます。皆様のご協力よろしくお願い致します。