やりたいことをおさらいするつもりが自殺について考察してしまった

頭の中がこんがらがってきたので
整理を兼ねて、アウトプット。
わたしのやりたいこと、なんでこの発想に行き着いたか。

最初っから全く関係ないけど、
今シーズンのドラマ『姉ちゃんの恋人』の登場人物たちが愛らしい。

はぁ、思考が渋滞している。

というか、こんがらがりすぎて事故寸前。
スクランブル交差点に侵入してしまった車みたい。

そう、姉ちゃんの恋人。
林遣都でてるよねーと、気になっていたのに1話目見過ごすし、やる気ないまま2話を見たけど、皆かわいかった。
トラウマとか、裏側に暗いストーリー隠れてるみたいだけど、とりあえず表面上が愛らしい。
このままほのぼのと見れることを祈る。

本題と関係なさすぎるけど、
栓みたいに詰まってたので、一回ガス抜きしました。

さて、やりたいこと、それに行き着いた理由について。

noteを始めたのは大きなきっかけで、
でもこれは、にわとりか卵かの議論みたいに、
noteを始めたからクリアになったのか
クリアになりそうだったからnoteを始められたのかは分からない。
でも、とにかく書き続けているのと同時進行で
やりたいこと、夢が見つかった。

大きなことが動くのに、理由が一つなんてことはなくて
それは私がずっと考え続けていたからだし
書き続けていたからだし
アンテナを張り続けていたからなんだけど
どうしても、三浦春馬くんの死は、
正確には自殺と、それに伴う私の感情の動きは
今回の「やりたいこと」を見つけた過程で
抜くことはできない要素だと思う。

その衝撃から、受けすぎた衝撃から
「なぜ?」と内省することで
私は大きなテーマに立ち返った。

自殺、だ。

私は、死ぬのがこわい。
子どものときに、こわくて胸がつぶれそうになって
それからずっとその胸の痛みが、
一人ぼっちの深夜なんかに現れては暗闇に引きずりこまれるような感覚を持ち続けて生きてきた。

だから、死にたくない。
死というものが何なのかを知りたくて
原爆とか、ホロコーストとか、
残酷な殺人事件とか、こわくて仕方ないのに調べては
「なんで?」って苦しくなることを、繰り返してしまう。

そんな私にとって、自殺は対極にあるものだし
それだけ苦しいんだとしたら、その苦しさってどういうことだろう?
と、また想像を働かせてつらくなってしまう。

その苦しさが、もし、例えば周りが変わることで
世間が、社会が寛容になることで、
少しでも軽くなって、少しでも自殺者が減るなら…
思春期のころはそう考えていた。

やり方は分からないけれど、
この狭くて苦しい日本が変われば…

自殺がキーワードになったのは、
思春期に両親がそれぞれ精神を病んで、「自殺」ということが身近だったというのもある。
でも、両親は死ななかった。

自殺する人としない人を分けるのは何だろう?

私自身もつらくて苦しいけれど、自殺しようと思わない。
その差は何だろう?
人生はやり直しがきかないのだろうか?
一度挫折したら負けなのだろうか?
そんなことを考えていた。
いや、そんなことはない!という証拠を探していた。

そうやって、大人になった。
そんなことはない!と言える社会を作ろう、と思っていた。

長くなったので、また明日。
明日書けるかな。
おやすみなさい。

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