チェルノブイリ日記 51 ~ エネルゲティック文化会館を訪れたボランティア
映画館に訪れたボランティア
前回のあらすじ。
「エネルゲティック文化会館(Палац культури «Енергетик»)」の映画館らしきところを散策しています。
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座面のない限界椅子が3台だけある映画館をもうちょっと散策しましょう。
ぎゃーす!
床が抜けて……というより外されていますので気を付けて。
何のために、何のために……チェルノブイリを散策して何十回何百回目の疑問を繰り返してしまいます。
横の階段は大丈夫でしょうね。
見上げますと天井も抜け落ちてしまっています。ストラックアウト……とちょっと思ってしまいますね。お願いですから今は落下して来ないで下さい。ボールはぶつけませんから。
ところで舞台の上に何かが並べられているようです。何でしょう?
足元に気を付けながら舞台へ近付きます。抜けないでね、床。
かつてはここにスクリーンがあって色々な映画が投影されていたのでしょうね。最後に投影されたのは何だったのかなぁ。
チェルノブイリ原子力発電所事故が発生しましたのは1986年4月26日の未明です。26日は土曜日で、プリピャチ市民の避難が始まったのは翌27日のお昼だったそうです。
避難が始まるまで市民は通常の生活を送っていたそうですので、26日も映画の上映が行われていたのかも知れません。
さて……。
並べられているのは写真のようですね。
例によって1枚ずつ撮影する余裕がありませんでして……。
何枚か撮影した中から比較的綺麗な写真を拡大してみます。
原発事故が起こる前のプリピャチ市民ですかねぇ?
当初はもうちょっと綺麗に並べられていたのでしょうけどね。当初っていつでしょう?
目力……!
この方もプリピャチ市民なのでしょうか。まぁチェルノブイリと関係のない人の写真をここに並べても意味が分かりませんよね。
写真だけでなく文書もあるようですね。
私の写真には文字を読める状態のものがありませんでした。しかし後年、チェルノブイリを訪れた方と知り合いまして写真を見せて頂きました。
文字を書き起こしてみました。
ZamglayとLubechというにはウクライナ北部、チェルノブイリの北東にある街のようです。その2つの街は40kmほど離れているようですが……。
もうちょっと翻訳してみますと
ここへ来て怖い? それとも楽しい? しかしちょっとこれらの写真を見て想像して欲しい……彼らもあなたと同じような普通の生活を望んでいる、しかしそれが出来ているだろうか?
怖がらないで! 心を開いて!
てなところなんですかねぇ。今回は機械翻訳ではなく英語力レベル1の私がお送りしました。
言葉としての意味は分かるのですが何を言いたいのかはよく分かりませんね。
ところでTHE OXFORD VOLUNTEERS FOR CHORNOBYL SCHEME 2007について調べてみましたところ、2011年度版のボランティア募集らしき文書を見付けました。
それによりますと、オックスフォード大学に通うウクライナ人の協会が企画されたもので、チェルノブイリに何週間か滞在してチェルノブイリの復興のために何をすれば良いのか何が出来るのかを考えましょうということが目的のようですね。2008年や2011年にも行われたようです。
その協会の支部がZamglayとLubechにあるのでしょうかね?
まるで的外れなことは書いていないと思いますが英語力レベル1の私ですからねごめんなさいね……。
体育館へ向かう
ところで舞台の脇に
舞台裏への出入口がありますね。
映画館ではなかったのかなぁ? まぁ映画館でもあり劇場でもあり、何でも出来ますよみたいな場所だったんですかね。
まぁ例によって例にもよってそこを通ったのかどうか記憶にないのですが、このような部屋を抜け
このような部屋を抜け
体育館に着きました。エネルゲティック文化会館の中にあるスポーツ施設ですから体育「館」ではないと思うのですが、まぁ便宜上「体育館」と呼ぶことにします。
あ、向こうに見えます人影はイケメンです。そして右手に見えますのが
大きく育った木!
先の写真のイケメンと比較しますと普通に4~5mくらいの高さはありそうですね。
私がチェルノブイリを訪れましたのが2013年ですので、今はどれほど高くなっているのか、それとも育ち過ぎて床を破壊しているのか……。
次回予告
ガイドぉぉォオおォ!
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