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チェルノブイリ日記 50 ~ エネルゲティック文化会館の映画館?


エネルゲティック文化会館の2階を歩く

 前回のあらすじ。
「エネルゲティック文化会館(Палац культури «Енергетик»)」に入りました。

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※ 過去の日記はこちらから。

 前回の最後で、プリピャチではディスコが毎週末開かれていたらしいと書きました。
 英語版のWikipediaをよく読みますとエネルゲティック文化会館にはディスコの他に映画館、劇場、図書館、体育館、プール、ボクシングやレスリングのリング、会議場などがあり、そのうえ地下には射撃場まであったそうです。射撃場って……それも文化のうちなの? どういう人がどういう目的で利用することが出来たのでしょうね。

 さて、階段を上がって2階へ来てみたものの……ここは何だったのでしょうね?

 見上げてみます。現役の頃からこの天井だったのかなぁ? あちこち破壊するのがチェルノブイリだとしてもさすがにこの天井までは破壊しないか……?

 奥へ進みます。突き当りはステージになっているようですね。

 ポリーシャホテルにもこのようなステージがありましたね。
 こちらは階段を上がってすぐ……何メートルか離れていますのですぐとは言いませんが、壁がありませんでしたので踊り場にステージがある感が拭えません。

 ところで……

 これは何ぞ……。
 大きな絵の一部? いや、木の枠に入っているようですので紙芝居? 黒い部分が漫画「ドラえもん」の登場人物であるスネ夫の髪の毛に見えて仕方がありません。

 窓側を歩きます。いや、窓なんてもうありませんけども。

 窓だったものがいっぱい落ちているから気を付けて!
 いやホントに普通の靴で来て良かったんですかねチェルノブイリへ。建設途中で放棄された原発の5号炉を散策していたときも思いましたが、安全靴を履いて来るべきだったのでは……。

 さて窓の向こうの景色は

 このような写真しかありませんでした。どうして1枚くらい普通に撮らなかったのか。
 まぁ撮る気にならなかったのでしょう。でかい木しか見えなくてね……。

 廊下にも木が生えていますしね!
 でかいなぁ。木の向こうにいるガイドが隠れてしまっています。
 何十年かしてこの木がさらに育ったとき、エネルゲティック文化会館も崩壊してしまうのかも知れません。

 ところで……

 窓の外に豆電球が吊るされていたようですね。夜間のライトアップ? にしてもちょっと寂しい気がします。
 ファミコンの名作推理ゲーム「さんまの名探偵」の影響で今でも裸電球を見ると「わびしい……」と呟いてしまいます。

 写真の左下から入って来て階段を上がり、左上の廊下を歩いてここまでやって来ました。
 あれ、壁画は右側にも続いているようですね。写真がありませんのですぐに途切れていたのか、現地では気が付かなかったのか……。
 インターネットを探してもそれらしい写真は見当たりませんでした。正面から壁画を撮影した写真はたくさんあるのですが……。

 ということでちょっと拡大してみます。
 ……UFOを呼ぶ儀式ですかねぇ。

謎の文書

 ノートが落ちていました。人の手によるものか湿気によるものか、良い感じにしわしわで古文書感が出ていますね。
 何が書かれているのでしょう?

 やったね、一眼レフカメラ!
 適当に撮影しても文字が読める程度に記録してくれていました。いや、読めませんけど私は……。
 こういうときはGoogle翻訳に頼りましょう。

6
新しい研究への最善の準備のためのレビューコンテストを発表します
その年コンテストの結果に応じて、結果は党委員会によって検討されます。
受賞者に駅の党委員会の賞状を授与する。参加する
市内では、最良の党内閣をめぐる競争が行われています。
10月
ヤンクロビッチLD
DSK-3の経済教育に関する党市委員会の決議を管理し、この問題を検討し、駅の労働者の経済教育の組織と管理を改善する措置を講じる。 2月~4月
Vesprozvannykh N.S.、クヌレンコ B.V.
労働組合委員会に学校の取り組みを考慮するよう義務付ける
共産主義労働者よ、具体的な改善策を策定せよ
この作品
2月~5月
ベプロズワニフ NS.同氏は党地方委員会と政治教育院の勧告に従って、マルクス・レーニン主義教育システムのコースを引き続き学習する予定だ。 1月~5月
彼らは市の宣伝活動家会議に参加する予定だ。
マップT
ヤンクロビッチLD
党制度、経済制度、経済制度などの最終授業を実施する。
コムソモール学校、思想活動の学校。 5月Besprozvannykh N.S.、Yanklovich L.D.、Knurenko B.V.、Simiiikhikhy。ユルキン A.V. 1983年から1984年にかけてカムチッカニフ選挙運動の政治政策を遂行するため
学校の時間
7月から8月 ヤンクロヴィッチL.d.
党ネットワーク内で最初のクラスを編成するには、
経済、コムソモール学校。 10月
ヤンクロビッチ L. d.
彼は党地域委員会の政治教育院でのセミナーへの出席を確保するために、宣伝活動家向けのセミナーを定期的に開催している。コースに参加し、その場で体系的なサポートを提供します。党の地域委員会、市委員会、各党の計画による
駅委員会の。
ヤンクロビッチ L. d.
宣伝活動家のセミナー、公開授業、定期的に開催
教えること、学ぶこと、忙しいこと、そして、

Google翻訳より

 分かるような分からないような、いや分かりませんね……。最初の「6」から謎です。
 何らかの研究成果の発表会があったのでしょうかね。
 どなたか当時を知る方がこの日記に辿り着いて下さることを期待します……。

椅子のない映画館……?

 例によって例にもよってどこをどう歩いたのか記憶になくて申し訳ないのですが……恐らくこの階段を下ったということはないと思うのですが、

 映画館に辿り着きました。映画館だったはずです。

 ほら、椅子が残っていますでしょ。何故この3台だけ?

 椅子……? 違和感がありますね。座椅子?

 座面がありません。いつも通りの限界椅子でした。
 しかし座面があったところでちょっと低過ぎません? 子供用だったのでしょうか。一番前の席ですしね。

 エネルゲティック文化会館について調べていましたところ、ハンガリー語版のWikipediaに800席の映画館があったという記述を見付けました。
 あれ、ここはさすがに800席より少なそうですよね。大ホール、中ホール、小ホールみたいな感じで他にも映画館があったのかなぁ。それともここは劇場か……。

 後ろの壁の

 ここから映写機で投影していたように思うのですが。どうでしょう?

次回予告

 誰かが見ている。

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