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日本の公教育の英語学習は害でしかない理由

住んどります京都の街路樹も黄色や赤に変化しつつある季節になりました。世間ではオンライン授業が定着しつつあります。

オンライン外国語教育を運営している立場から言わせてもらいます。中学校の英語教育が日本のグローバル化を遅らせていると断定した上で、お話を進めます。

1。中途半端な外国人教師の導入(先生には恐縮ですが、日本人英語教師の授業は必要なのか疑問)


2。国語を重点的に教育している上に、脳が最も活発化しているところに中途半端な英語教育をねじ込み混乱が起こる


3。上記の外国語を受け入れたいが集中して受け入れられない脳の状態が大学、若しくは、社会人になるまで永遠に続く、且つ、ほとんど話せない状態で終わる


4。実際に、この期間ほとんど海外に行かないのに実用性を感じないまま、机上だけで勉強をするという苦痛を味わう


5。おそらく忘れるであろう日本語でもニッチな英単語を大学受験などえ覚えさせられるという苦痛で嫌になる

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本当に何のための英語学習なのかなと思います。そして、全国民英語をクリアーしていかなければならないと言いながら、まともにバイリンガルに育っていく人は万分の1程度のことを考えるとこれは「害」であり、いっそのこと英語学習を日本語の文章を読む時間にあてればいいのではと思うぐらいです。

というのも、私が英語を大学院まで学んだにもかかわらず、まともに話すことができないまま英語に対する拒否反応を覚えつつ歳を重ねています。一方、27歳で初めて韓国留学をし韓国語に接した後、約一年で韓国語で読み書き話すができるようになった学習の流れを見たときに、言語の相性はあるものの中途半端に学習をやり続けても、言葉は学べないという実証結果がでているからです。

ちなみに、日本にいながら英語論文を発表できるある程度優秀な人は例外として、日本国民の多くは、私のように片手間で語学を学習しても上達しない人がほとんどであると認識しています。

やはり物事は集中して持続的に、楽しんで、目的を持って学習しないと習得できないということが私の経験からも感じ取れるのではないでしょうか。

いまだに英語に対しては、拒否反応を起こしていますが、日本人の多くは中学時代の思春期に、ほぼ「行」のような単語暗記とか、ほとんど使わないであろう過去完了なんとかなんとかのつらい学習をさせられているのが現状で、英語の教わり方にかなり問題があると思われます。

最近、うちの小学生の段階で留学経験のある子供たちが、英語で鼻歌を歌ったり、YOUTUBEの面白番組を原語で楽しんでたりするのを見て、正直羨ましさを感じますが、中学英語を日本で教わる環境を作らなくて良かったという安堵感と日本で受験英語を学ばさせなければならないという残念な思いが一緒に湧いてきます。

文科省のほとんどの偉いさんは英語の読み書きはしっかりされるでしょうが、結果上記のようにほとんどの国民が意味のない英語教育がなされてないという現状をお分かりなのかと疑問を投げかけたくなりもします。

グローバルだから英語。GAFAが世界を変えているので、プログラミング。宗教観がないので中身の薄い道徳の授業。全部カリキュラムに入れようとしますが、先生も疲れるでしょうし、生徒も疲れているのではと感じています。

英語をやる人やらない人、プログラミングに向いている人向いていない人。人はそれぞれでしょうが、あまり身にならない教えを概念だけでやり続けると、どんどん先生と子供たちは疲弊し、この国の学びのあり方はどんどん質が落ちていくように思います。

改めて、この文章を書きながら拷問的な英語学習に対するトラウマを思い起こしています。

是非、本人の個性を伸ばす、適切、且つ、中身のある学習を小学校の段階からしっかりと学ばせてあげたいと願っています。