見出し画像

本は本能

最近は電車内でも本を読んでいる人をそれなりに見かけるようになった。

昔から一定数はいたが、皆んながスマホに視線を落とす中なので目立って見えてしまうのかも知れないし、自分が本を読む人間だから目についてしまうのかも知れない。

皆んなどんな本読んでんの?

ブックカバーに阻まれて分からず。

汚れないようにしているとかも聞くけど「何読んでるかバレたくない」「こんなの読んでの?と思われたくない」本心もあるらしい。


「ムッツリスケベ顔やね」

姉の推しに対して私が放った言葉である。

怒られました。姉も半分納得してたけど。
まぁ好きな人の事を「ムッツリ」と言われて「そうなんよ!わかる?特に目の辺りが差ぁ!」と饒舌になる人はなかなか個性的だと思う。
驚かせてごめんよ。

私としては「ムッツリスケベ」と褒めたつもりでもある。

ムッツリ:愛想も無く黙っているさま。口数が少なく愛想のない人
スケベ:好色なこと。そのような人にもいう。
ムッツリスケベ:色毎については寡黙であるのに、実際は好色な人

皆んな大好き大辞林より

言い換えれば「ムッツリ」は冷静である。
物事に感情が動かされない、冴えた状態。
「スケベ」は生物学的に健康である。
よく「スケベな人はいや」とか聞くけど、それは品性の問題で、下品な言葉を使ったり、だらしのない態度で人に迫るから言われること。

ムッツリスケベってめっちゃ紳士やないか。

それに対して、私自身は割とオープンスケベである。

あちこちで露出したり、いつも卑猥な事を発言している訳ではなく、性癖なんかもぺろっと言ってしまう。
「筋肉を見て男性を好きになる」ので、オープンにしておく事で、接触のきっかけを増やせる。
好き!な感情を隠せないところもある。

そもそも、作家や文章を書きたいと思っている人はほとんどがオープンでしょう。
創作とは、脳内にあるイメージを文章や映像に表すもの。
思っている事や、考えている事、感情を揺さぶられたもの。
そこに本能は絶対に乗っかる。

どれだけ執筆できるかは、どこまで自分の脳内を具現化していくか?

読書とは、作者との会話とは本当に上手く言ったもんです。
小説を読んでいても、ほとんど必ずある少し色のあるシーンや、恋愛の描写。それはその人の主観のスケベ心です。誰にでもあるものやから、悪い意味ではない。

キャラによって書き分けているようで、ちゃんと根本に自分のどっしり座ったスケベがあるし、そこで好みはかっきりすると思う。
人間の本能の部分で惹かれ合う魔法のレイザービームである。

売れている作家先生は、不特定多数の人間と共感できる根本を持っている。

それだけではなく、どこにでもある日常の一コマをどこかファンタジックに展開していくテクニックに長けている。

ドラえもんのいないドラえもんが面白いか?


毎日毎日、寝坊して遅刻して宿題を忘れ、廊下に立たされるのび太がテストで0点をとり、帰り道に金持ちのクラスメイトに、最新のオモチャを自慢され、ガキ大将からの理由のない暴力に襲われ、好きな女の子は学校一の秀才でモテ男と帰宅しているところを目撃する毎日を見続けるのも・・・あれ?それはそれで面白いかも知れない。

てか、のび太の日常すごいな。

ここに、無理やり野球に誘われて、ジャイアンが打ったホームランボールがめっちゃ怖い空き地の裏の住人の家に入ってしまったり、時には家のガラス割って謝りに行かされ、カミナリさんの乱入バトルが勃発。
何が一番辛いかって、のび太にはホームランなんて打つ実力がない事。

あげていけばキリがないが、のび太の人生めっちゃ

理不尽

ま、そこに未来の世界の猫型ロボットドラえもんが入ることで、淡々と不幸でしかないのび太の日常にファンタジーが生まれて面白みが増す。
文芸、エッセイがSFになるくらいの変化はすごい。

毎度お楽しみのしずかちゃんの入浴シーンも、ちゃんと「のぞく」と言う絶対的な性癖がある。今はコンプライアンスかなんか知らんが、無くなったタケコプターで飛んでいる時のパンチラも「のぞく」「チラリズム」
毎回、不慮の事故を装ったり、偶然が誘発させたチラリズムに対し、彼らは喜びながらバレるまで鑑賞し、必死に言い訳をして逃げる。

話の内容や展開、キャラクターの性格は「ムッツリ」であるが、それを世に送る作者は「オープン」である。

ルパン3世くらいになると、不二子ちゃんのシャワーシーンは堂々たるものやし、ルパンもオープンに空中脱衣。
モンキーパンチ先生はとてつもなくオープン。もはや鏡と言っていい。

それを思うと、本屋って作者の煩悩の塊よね。
日常とファンタジーとオープンにされたスケベが店内にひしめきあっている。
沢山の煩悩の引き出しの中から、より自分にマッチした煩悩を具現化してくれたものを選び、むふむふしながら読んでいる。


カバーを付けて本を読む人は「ムッツリ」だな。私は車内で一人ほくそえむ。
でもそれは、慎み深い特有のスケベ心がある。
何を読んでいるのかバレたくないのに、家まで我慢出来ないなんて、なかなかの煩悩ですぜ。

私はカバーは要らない派。
前にアメトーーク!の読書芸人で「本棚を見られるのは尻の穴を見られるくらい恥ずかしい」と言っていたが、そんなことも無い。
読書スピードも速いので、新書は2時間あれば読むし汚れる心配もない。

とは言え、女性の裸の写真が載った雑誌を持ち込み、見せて嫌がらせて喜ぶ行為はいただけない。マッチョな男性のヌードを若い女性の目の前に出す新手の人も見たが、これはオープンスケベを通り越したただの変質者です。
理性を抑えるお薬が必要。

でも、たまに見かける官能小説を黙々と読むおじいちゃんとは話が合う気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?