創作大賞について本気出して考えてみた
創作大賞。
きっとここは文章の猛者達の集まる天下一武道会。
一応、趣味に読書を掲げている私はこっそりと皆さんの作品を楽しんでいる。
感性がそこまで豊かではないので、ポエムみたいな抽象的な作品は得意としていないが、純文学〜エッセイくらいを読み漁る最高の機会だ。
過去に書いた作品を整理して出している人を数人見かけ、なるほどなぁと思った。
チャンスの流れはどう うねるか分からない、昔評価されなかったものが突然時代に追いつくなんてこともある。
私もそんなジャイアントキリングを期待して、昔に描いた作品を脳内で整理し始めた。
ヒーローズジャーニーは突然に
就学前からジャンプを読んでいた私は漫画には自信があった。
根拠はない。
ただ漠然と自分も描けると思って実行した。
それが私の処女作「うんたろうのぼうけん」だった。
あなたの豊かな感性と洞察力で素直に受け取ってくれていい。そう、それだ。
う○こが主役の冒険譚だ。
汚い?おい、食事中の方。私は謝らないからな?行儀悪いのはお互い様だからファウルドローだ。
子供にとって最強の物体を主人公に置くことで、絶大なヒットを予想したのかは定かでないが、人を描くより形状が簡単だったから採用した可能性も捨てきれない。
現物がないので確認のしようもないが、朧げな記憶の中のうんたろうはどんな人でも一瞬で思いつくフォルムだ。
巻いている○んこに手足が生えて剣を持っている。
一応、確認のためにここで一回話を切って付け加えるが、私は女だ。
今あなたは、年長さんの女の子が初めて描いた漫画の話を読んでますよ?いいですか?
お姫様もちゃんと出てくる。
「うん○ひめ」だ。
たしか頭にティアラがのっていた。
豚に真珠ならぬ、うん○にティアラのストロングスタイルのプリンセスだ。
私はディズニーアニメーションが富樫勇樹選手の次に好きだが、クマのプーさんの事を「ちょ、裸にベストって」と鼻で笑ってしまったことがある。
土下座したい。足元にスライディングして土下座したい。
う○こにティアラが世界のウォルトディズニー様を鼻で笑うなど切腹事案だ。
それに、裸ベストのクマと裸にティアラのう○こ、どう考えても道ですれ違うなら・・・う○こが安全か。
クマは危ない、生存の危機。
だけど、う○こは最悪踏んでも社会的に死ぬ程度の心配しかない。生きていればリカバリー出来る。
まぁそれはいいんやけど。
あとは皆んなの大好物イケメンキャラもいた。
名前は姉に聞いたところ「うんどう」だったらしい。
センター分けのイケメンショートのう○こ。
ここで一つ家族の名誉のために言っておくが、私以外はごく普通の子供だった。
姉達が華やかなドレスを身に纏った自分が、胸をときめかせて王子様を待っている愛らしい絵を描いている隣で、私が1人せっせと う○こを量産していただけのこと。
私、前世に神様になんかしたんやろうか。
「俺はいいから先に行け!」の美学
もっと登場人物はいたが忘却の彼方。
なので、思い出せる限りのストーリーを書き出してみようと思う。
私の住んでいる周辺は下水処理が遅れていて、水洗トイレが自動ではなかった。
なので、月に1回バキュームカーが汲み取りに来ている。
やはり幼少期の経験は作品に大きく影響するものだ。
なんか、ザコ敵もいたが覚えてない。
根性系の主人公とイケメンキャラが喧嘩する王道をこの頃から採用するあたり、憎い演出だと私は思う。
因みにだが「スーパーだいうんどう」は巨大化する。
コマ割りを捨て、見開きで巨大化したうんどうを紙一枚に描く演出は、かなりの勇気と斬新さが光った。はず。
デカくなりゃどうにかなると思うあたりが幼稚園児。
姫と結婚とか恋愛に至らないのは、その概念がまだ無かったから。
この年になってもバトル漫画を読んでいると、身を挺して仲間を守り「後で行くから!」「俺が来なかったこと、ある?」と言って先に行かせ、亡骸を仲間に決して見せないキャラに心を奪われる。
きっとこの頃から既に確立されていたと思われる。
お気づきになっただろうか?
姫は出端にバキュームされているのだから、勇者御一行は屎尿処理場へ向かうべきところを、勢い余って魔王の城を目指してしまっている。
そんなお茶目な勇者御一行だが、例え向かう先があっていたとしても、浄化処理され公共用水域へ放流される。
何が本当の幸せか、人の本質を問うているのも知れない。
と、言って全速力で逃げたいところだが世の中はそんなに甘くない。
ハッピーエンドの定義が結果オーライなら私の単独優勝。
厳しく書評されてしまうと一瞬でアウトだ。
黒歴史と侮るなかれ
漫画家になりたかった、訳じゃないけど
自分が何に心を突き動かされ、どんな展開が好きで、何を言いたいのか。
大人になると失敗を恐れたり、カッコつけてしまって本当に面白いものが何だったか分からなくなる。
そんな時に本当に本当の処女作品を思い出してみると、本質や好きなものが見えたりもする。
私はこれを姉に笑ってほしくてひたすらに描いていた。
その気持ちが嬉しかったのか、ただ付き合いのいい姉心だったのかは分からないが、姉も内容をよく覚えてくれている。
1人でも好きと言ってくれる人がいれば、私は頑張れる人間だと改めて思い出せた。
ただ、この作品を大人の私が描き直したら社会的に臨終する、引導を渡す、クリーンな転生を促される。
まったく。
創作ってやつは手強い。
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