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大地に立つ Gレコ26話の雑感

Gレコ最終回の雑感を書いてみる
最終回についての考察は以前描いたのでそちらも読んでみてください

【話全体の感想】
Gレコに登場する生き残った全勢力が地球に降りてきて最終決戦をやるぜっていうお話し。アメリヤ、キャピタルアーミ、メガファウナ、ビーナスグローブ、ガランデン部隊、各勢力がそれぞれの思惑を持って戦うのだからもう戦場は何が何だかわからない混戦状態になる。

どうしてこんな混戦になるんですか
地球人は戦争オタクですか

ってあるキャラクターがボヤくんだけど、全くもってその通り。これは、というかGレコ全体を通してなんだけど「モビルスーツ」を手に入れた大きな大人の遊び、祭りを描いているんだよ。で最終決戦はその遊び、祭りのフィーナレを描いている。そのフィナーレのクライマックスがベルリのGセルフとマスクのカバカーリの決戦、ってわけ。

【女たちの戦争】
で、この最終決戦にはこれまでGレコに登場してきた全ての女性キャラクターが集結する。「戦争」に対する彼女たちも立場も様々だ
「Gレコ世界の仕組み」に疑問を抱いてメガファウナを率いつつビーナスグローブで知見を得たアイーダ、
「大人たちの戦争」の道具にされたラライヤ
観察者のノレド
ただ息子のことを案ずる、ベルリ母
戦争は文化を進化させると信じているクン
愛するもののためだけに行動するマニィ
「女性=戦争の被害者」ってありきたりな構造にしないのがいいよなー。戦争を憎む女性もいれば、戦争に憧れる女性もいる。戦争に振り回されて苦しむ女性もいれば、観察者的な立場の人もいる。うん、それって、リアルの世界では当たり前だよね、人には個性があってその雑多の個性がぶつかり合って世界は動いていく。それは人々の争いのタネになり「リアルは地獄」につながっていくかもしれない。だけど、その地獄のようなカオスさから世を変える力が生まれ、時代を切り開く思想が生まれていく。富野監督は御年80歳になるのだけど、自分より年下の人たちみんなに、「地獄のようなカオスさから逃げずに自分の目で世の中を見て、そこから明日への活力を生み出してほしい」っていいたいんだろうな。

【ベルリとマスク】
で、女たちの目の前でベルリとマスクはGレコ世界最強のモビルスーツを使った決戦をする。これはただの決戦ではなく「モビルスーツを使った祭り」のクライマックスだ。だから、この二人の最終決戦はGレコ全体を通して、いや、ガンダム作品全体を通して最高の「モビルスーツによる殺陣」になっている。Gレコ劇場版3のガイドラッシュ戦もそうなんだけど、富野監督以外の人はこんな演出はできないだろうなーと思わせる。だからね、こんな至高のモビルスーツ戦を演じた側もみた側も満足するわけですよ。あーこれ以上の戦いはないなーって。人々の心に満足感が生まれることで、「祭りに対する熱狂」が冷める。戦争への熱狂から冷めるから平和になる・・・・。このロジックって本当に素敵だと思う。最近のアニメやドラマ、映画は平和になるために破滅的な結末を描くものばっかりだけど、そんなことをしなくても平和へのロジックが描ける。争いのエネルギーを祭りに転換することで破局的な局面を回避できる。Gレコって祭りと戦争を同一視して、ギリギリのところで破局的な争いを少年少女の賢さで回避している、ってところに斬新さがあるのかな、と思ったりしますね

【アイーダは月の女王になる】
で、祭りによる狂乱の時代はすぎ、賢明なものによって統治される時代が訪れる。その象徴がアイーダだ。アイーダはGレコ界隈ではポンコツ姫扱いされるけど、それはガンダムというロボットアニメにあまりにも毒されてる。熱狂の時代が過ぎた後、穏やかな時代に統治する側として必要な資質は
・人の話を素直に受け入れる、諫言に耳を傾ける
・責任感を持つ、覚悟を決める
だ。アイーダは物語が進むにつれ、この二つの資質を身に着けているってことがわかる。冨野監督が「アイーダは物語が進むにつれ成長している」っていうのはこのことを指しているのだと思う。実際、過去の歴史で名君と呼ばれている人は「諫言を聞く力」と「責任感と覚悟」は必ずセットで持っているのであながち間違っていない・・・・。一方、ベルリはこの点についてはちょっと軽いよね・・・という印象、マスクがベルリのことを独裁者呼ばわりするのはわからなくはない。監督がラスト、ベルリに旅をさせたのも自分の足で大地に立って世界を見て、その生まれ持った優れた能力を生かす道を考えてほしい、ってことなんだろうな。優れた資質を持った人物を安易に指導者にしない、ってところに冨野監督の誠実さが垣間見れるのが本当に、いい!

【GレコはターンAの後の物語】
最後に、Gレコを軽く総括してみる。
Gレコは

「大人たちが新しいおもちゃを手に入れて危うく世界を滅ぼしかけたけど、世界を見た少年と少女の力によって一歩手前で破局を回避する」

って話だというのが個人的な感想だ。最終回以降、アイーダによる平和が続くと思うけど、それも永遠ではない。いつしか賢しい大人はまた新しいおもちゃを手に入れて世界を滅ぼしかけるだろう。でも、それを回避するのは第二のベルリやアイーダといった「既存の理の世界を冒険して新しい世界を作り出す少年・少女」であり、彼ら彼女らが登場することで世界は続いていくのだし、大人は彼ら彼女らを見守る必要がある。ってことなんだろう。ターンAのラスト、ガンダム史上最高のエンディングの「黄金の秋」、この「黄金の秋」をずっと続けていくためには、Gレコ最終回のタイトル「大地に立つ」人たちが必要だよねってこと。だから、私はGレコはターンAの世界が続く希望の先を描いたお話だと思っているよ

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