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旅×慶應通信

 慶應通信の学生

 僕は慶應義塾通信教育課程の文学部で学んでいます。どうして通信にしたかといえば3浪して行く当てがなかったのと、学費が安かったから。願書も消印有効の日にギリギリで出して、1か月後に合格通知をもらいました。

 今思えば願書に書く小論文(?)もなかなかうまくまとまらなくて、最後は半ば諦めていたというか、ノリで出した感じでよく受かったなつくづく感じますが。

 普段は大学に通わない代わりに自分でレポートを書いていくのがメインです。レポートと試験をクリアして初めて単位がもらえるので普通の学生よりも苦労することが多々あります。

 キャンパスに通わなくていい分時間が取れるので、好きな時に旅に出ています。勿論いつでもとはいきませんが、天気が良くて比較的すいている時期に行きます。学校に通うとなるとなかなかいつでも行けるものでもなく、混んでいる時期に限られてくるので、そういう点通信生の強みだと思います。

旅は哲学

 旅をしていると考えることが多くて、勝手に哲学者になる。という表現がいいのかは分からない。特に自転車を漕いでいるときは正直景色を眺めることと前方を注視するほかやることがないのだ。だから暇を潰すというか何もやることがないという退屈な気持を紛らわすにはぶっちゃけ考えるのが一番なのだ。

 一人旅ってそんなもん。よくそんなことして楽しいって言われるけど、人のことを考えなくていいのは本当に楽だし、息が詰まることもないので一人旅をエンジョイしている。そうはいってもおそらく気が合う人と旅すればまた違う楽しさが広がるのだなって思うといつかはそういう旅ができればなと思うけれど。

 そういえば中学の時に奥の細道を習った時にこんなことを尋ねられた。

 旅と旅行の違いについて

 結論から言えば旅は期間とか予定とかが決められていないこと、旅行は決められていることだと教わった。まあその定義についてはあながち間違っていないのだが、今思うと違うような気がする。と言っても定義の仕方は個人差があるから定義が1つに収束するのは困難だと思う。

 旅ってただ観光するとか美味しいものを食べるとかそういう次元で留まるものではない。旅をすれば色々なことを感じる。いいこともそうでもないことも色々なことが起こる。

 とにかく感じたことを昇華して抽象化していく作業が旅の二次的な意味であると思う。感じることをこうやって文章に起こしたり、動画に撮って編集したり、あるいは人に話したり、なにかアウトプットすることで果たせるって気づかされた。

 アウトプットはやはり骨の折れる作業で、それが楽しいのかといわれれば難しいところだ。でも景色を楽しむのは好きだし、景色を見て感性を極めていく作業自体も消決して退屈なものだと感じない。そういうことが向いているのかどうかは知らないが、厭わない人である。
 慶應通信で専攻をどうするだとか、卒論をどんなテーマで書くだとかそんなことはまだ全然練っていない。早く固まればなと思いながらペダルを漕いでいた。レポートもしんどいし、自分自身にとって興味がないことをやることがこの世で一番しんどいなと思いながらレポートを書いたり試験対策をしたりする。そんなことがしんどいと思うなんて、まだまだ世の中を知らなすぎるなと思いながら本を読んだり、旅に出たりする。
  
 「旅は哲学だよね。」
そんなことをあるホステルの方から言われた。確かにそうだと思う。旅をするのは哲学をしているものだと思うし、哲学をするのは旅をするものだと思う。
 
 そう思いながらペダルを漕いだり、バスに乗ったり、いろいろとしている。■

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