音読という宿題の危険性について。(3min)
小学校の先生の中で、宿題として「国語の教科書の音読」を出される先生は多い。
何を隠そう、僕自身も2〜3年前までは「音読は子どもの国語(日本語)の力を高めるために必要不可欠だ」と(何の検証もせずに)信じきっていた。
だけどある子どもとの出会いがきっかけとなり、音読について考え、そして「危険だ」と判断するようになった。今日はそんなお話。
ケンジ君の話
教室で算数をいっしょに勉強している小2のKくん(ここからは仮名の「ケンジ君」とする)は、学校のテストはほぼぜんぶ100点のいわゆる「優秀な子」である。
その日は、実施すべき算数の単元が早々に終わってしまったため、残りの時間は国語の文章問題をすることに。テキストをコピーして彼に渡すとすぐに、
『それからなんにちもたちました。どようびのごご……』
とスラスラと抑揚をつけて音読をし始めた。読み終わったところで
「よし、それじゃあ問題を解いてみようか」
と声をかけた。
すると、キョトンとした顔をして僕を見つめている。
「ん、どうした?どこかわからないことばがあった?」
首をかしげるケンジ君。
「あれ、どうしたかな?じゃあ最初の問題を先生と読んでみようか」
最初の問題は確か登場人物についての問題だった。僕はケンジ君にどんな登場人物が出てきたか聞いてみた。しかし彼はただ、眉間にシワを寄せるだけである。
一体何が起きたというのか?
音読という発声練習
その当時の僕は、この状況が全く理解できてなかった。しかし、今ではよくわかる。
この時のケンジ君の中では「文章を読むこと = 音読すること = ただ文字を口から発声するだけの行為」になってしまっていたのだ。
だから、文章の内容やその意味を理解することなんてできていない。もちろんこれでは「問題を解く」なんてできっこない。
その後、文章の内容をどう確認しても全く答えられなかったケンジ君。
それからは意識して他の子たちを観察しだすと、同様の症状が出ている子が多くいることに気づいた。
その子たちの共通項は何かというと
「1年生の頃から学校の宿題(音読)を毎日きちんとやっている」
という部分だった。
毎日毎日音読をして、教科書を暗唱できるまでになっている子どもたち。でもその暗唱している文章の内容について聞いてみると、ケンジ君と同じようにキョトンとした顔をするのだ。
この事態を、親御さんや学校の先生は理解できているのだろうか?
文章理解の邪魔をする音読
文章で書かれている情景をイメージし、それを味わうのが国語の真髄だと思っている。しかしこれまでの経験から言わせてもらうと、音読の宿題をいくらやっても、それができるようになるとは思えない。僕たち大人だって、文章の内容を理解するために読むとき、わざわざ音読したりはしないはずだ。
子どもたちの脳の資源(処理できる量)は限られている。だからそれを「声に出すこと」に使わせることなく、「文章をイメージ化すること」「物語の内容を楽しむこと」に使わせてあげてほしい。
もしお子様が音読の宿題をしているご家庭があれば、ぜひきちんと内容を理解できているのか、味わえているのかを確認していただきたい。
なお、うちの教室で音読の代わりにやっていることはまた別でnoteしたいと思います。