自分に素直であるということ

今読んでいる本に「素直であること」が書かれていた。

自分はこうなんだと素直に認めることには「強さが必要」だということ。人は自分に合った場所にいることが幸せに繋がるが、そのためには「自分を知らないといけない」ということ。自分を知るとはつまり、自分がやりたいこと、欲しいもの、そういうものをわかっているということだ。自分の声を素直に聞き、知っているということだ。

それだけについて書いているわけではないのだけれど、昨日読んだ部分で一番印象に残ったのはそこだった(この本全体に関しては読了後にnoteで紹介する予定)。

自分が子どもの頃のことを思い出すと、とても生き辛かった記憶がある。葛藤というのは「理想と現実の差を素直に受け入れられるかどうか」によって起こるとこの本には書いていたのだが、まさにそれなのだろう。

誰かが何かをできている。じゃあ私もできるはずだ。なのに思うようにできない。悔しい。辛い。自分はこんなにもできない人間なのだろうか。

自分はこれを好きなのに、言えば馬鹿にされる。だから自分が好きなものがコレだとは、絶対人には言わない。

人間ってもっと綺麗な生き物ではないの?親からは他人に迷惑をかけるのが駄目だと聞いているしそれが正しいと私も思っているけれど、周りを見ればそうじゃないことが沢山ある。世界はこんなにも汚いものなのか。

全部、突き詰めれば理想と現実のギャップであり、現実を素直に受け入れられないからこそ苦しかったのだろう。ちなみにこれらは私が小学生の頃に毎日悩み考えていたことで、我ながらある意味子どもらしく、ある意味子どもらしくない、辛い日々だっただろうなと思う(実際毎日苦しかった)。

それを素直に親なり誰かに相談できればまた違ったのかもしれないが、当時の自分から見て周りに信用して話すに値する人はいなかったので、ただ自分でぐるぐると考えるだけだった。

今ならば、とても狭い視野で物事を考えていたんだなぁと思う。もっと自分に素直に、自分を大事にしていいんだよと思う。

0か100かでしか物事を見ていないから、何かをできない自分が全部駄目だと思ってしまう。自分を馬鹿にする人がいれば、皆そうだと思い込んでしまう。確かに人間は綺麗な存在ではないけれど、どんなに悪そうな人にもいいところはあるし、逆もある。

現実とは、そういうものなのだ。

それを受け入れるには「強さ」が必要だ。周りに何と言われようと自分は自分。自分は価値がある存在だ。ここにいていい人間だ。だから、多少何かあっても大丈夫。そう思えてはじめて、自分を素直に出せる。自分を素直に出せたら、自分がやりたいことも見えてくる。

私の両親や祖父母は決して悪い人ではないし、皆それぞれ自分の人生を頑張って生きている(生きてきた)人たちだと思うけれど。ステレオタイプなものの見方をする人たちだとは今でも思う。当時はそれが当たり前で、自分の考えを子どもに押し付けるのは普通のことだったのだろうが、それ故私は自分の考えややりたいことを出すことが苦手になった。自分と相手の考えの違いに苦しむことになった。

もちろんそれだけが原因ではないし、そのおかげでいろいろ考え、自分なりに乗り越えてきたという自信を得ることができたから、決して無駄な経験だとは思わないのだが。やはり育つ環境というのは子どもに大きな影響を与えるなぁと思う。

子どもを育てる立場になって。親として、子どもが素直に発言できる環境は、なるべく整えてあげたいなと思う。

やりたいことがうまくできなくて「ぎゃー!」と毎日なっている息子だけれど、そんな自分を素直に受け入れられるのはいつのことだろう。

やり方を教えようとしても、自分でやるの!と素直にそれを受け入れられない息子を見る度に「そこで最初の1回でも素直にやり方を聞いたら早くできるようになるのになぁ」と思う日々なのだが。これも成長と共に学んで柔軟になっていくのかなぁ。

大人になるにつれ、自分を段々と認められるようになって、素直に自分を出せるようになってきた。これはとても楽なことで、生きるって苦しいことではないんだなと知ることができた。自分に素直でいること。自分を偽らないこと。それは、楽に生きるために必要なことなのだろう。

素直であることって実は奥が深いことなのだな。言葉がシンプルそうな割に、だからこそ、複雑なのかもしれない。


ではまた明日。