最後に残るもの

今日の記事はあくまで私がふと考えたことで、そこまで精査したわけではない。いつも以上にとっちらかった内容であることを先に書いておく。

昨日、『仮想空間シフト』という本を読んだと書いた。本自体は他の人にもオススメしたいくらい面白かったのだが、読みながら頭の隅にずっと疑問があった。

「これからの世界、インターネットがあることを前提に話を進めているが、使えなくなった場合にその人たちはどうするのだろう?」

ということだ。

これからの世界が仮想空間にシフトしていくのは間違いない。だが、仮想空間はあくまでもネット上のものであり、それを操作しているのは現実に生きている人たちだ。技術の進歩は著しく、日々仮想空間でできることは増えていく。便利で自由で、それにどんどん適応していくことは悪くないのだが。仮想空間はあくまでも「仮想」なのだ。実体がない。例えば大規模な災害等が起こってサーバーが駄目になったら、その中身も駄目になってしまう。今の世の中、海外にもデータを保存していたり、一箇所が駄目になったからと言ってそう簡単に駄目にはならないのかもしれないが、では、世界規模で何かが起こったら?仮想空間はどうなってしまうのだろう。

以前どこかで、「クラウド系は駄目になる」という話を見かけたことがあった。おそらくスピリチュアルとか予言とか、そういう類のものだったように思う。何かしら世界的な脅威が起きて、その影響でサーバー上にあるものが使えなくなる、そんなニュアンスだと解釈している。それを丸ごと信じているわけではないのだが、そういう未来もゼロではないなとは常に考えている。実体のないものの弱点は、「ある日突然消えてなくなるかもしれない可能性が高い」ことだ。

ネット上に残すよりは、紙に残した方が良いのかなとは考えている。紙も火事や洪水等で駄目になる要素はあるが、少なくとも手元にあれば内容を読むことはできる。ネット上に保存されているものよりは確実だ。

もっと確実なのは、自分の頭に入れておくことだ。情報の確実性という意味では少々頼りない部分はあるのだが(記憶はあてにならない)、自分が生きている限り、情報を引き出すことができる。自分が生きている間、確実にその場にあるのは自分の肉体だけなわけで、「何があってもその場にあるもの」として一番確実なのは自分かなと今のところ思っている。

だから本を沢山読み、できることを増やしていきたいと思い、日々細々とやっていっている。電子書籍もいつアクセスできなくなるかわからない。できる今のうちに沢山読んでおこう。有事の際に必要そうな情報は、本として持っておこう。いつ何が起こっても、その時の状況に対応できるよう、様々な体験をしておこう。

何を目指しているのかと言えば、おそらく私は何かが起こった時になるべく「生き残りたい」のだろう。そこで生き残ることが幸せかどうかはわからないが、なるべく置かれた状況に挑戦し、足掻きたいのだと思う。その時頼りになるのは自分だ。だからなるべく、自分に「生きる力」を身に着けさせたい。そういうことなのだろう。

普遍的な「生きる力」には昔から憧れるものがある。子どもにもできるだけ身につけて欲しい。インターネットというものがある時代、大いに結構だし、便利ならばどんどん使う。けれど、仮にそれが無くなっても、自分で生き方を見つけ、環境に適応し、逞しく生きていきたい。そういう普遍的な「生きる力」を、どんな時にも最後まで一緒にいる「自分自身」につけさせたい。そういうことなのである。

ここにそれを書いて、だからどうしたというわけでもないのだが。自分自身の考えをまとめるためにも、本日の記事のネタにするためにも書いてみた。ただそれだけの、とっちらかった話である。


ではまた明日。