本。時空旅人「呪術の世界」

以前記事を書いたことのある『時空旅人』という雑誌。

最新号を電子書籍ではなく、普通の紙の雑誌として購入してみた。やはり紙は読みやすい!電子書籍よりは気軽に旅をできたと思う。

今回のテーマは「呪術の世界」。「呪い」という字は「のろい」とも「まじない」とも読めるけれども、その「まじない」の方である。修験道、密教、陰陽道等々、いろんなものと呪術について書いてある。

相変わらずボリューミーでやっと読み終わった!ので今日はその感想でも。


今回のテーマは「呪術」。元々占いに興味があるし、最近身の回りで空海関係のものをよく見かけるしで買ってみた。実際、買って読んで良かったと思う。割と私と縁のある話が多かったのだ。

空海や崇徳天皇は、そのものズバリ香川と縁のある方だし。「オシラサマ」という民間信仰では、弘前の話が紹介されていた(青森は夫の実家)。

平城宮跡は行ったことがあるし、山梨県の縄文文化についても書いている。他にもいろいろ。「何だか縁があるなぁ」と感じるものに関する記事が多かった。



個人的に今回一番驚いたのは。紹介されているお寺の記述で

以前は○○宗だったが現在は○○宗

というものが複数あったことだろうか。

え、お寺の宗派って変わるの!?

というのが正直なところ。
お寺って、その宗派でいきます!と決めているものではないのだろうか。例えば何かしらの圧力で変わらざるをえなかったということはあるにしても。ある日そのお寺の人が、「やっぱり○○宗の方がいいからそっちにします」と言ってすんなりできるものなのだろうか。

お寺には檀家さんも存在するはずで、その辺どうなるのか気になるところ。おそらく現代は、自分から「この宗派がいい!」と入っている人は少数で、「先祖代々そうだから」という人が多いと思う。ので、お寺の宗派が変わると言ってもそんなに気にしていなくて(やることが変わるなら面倒かもしれない)お寺についていく人が多いかもしれないけれども。教え自体を「良い」と思って入っていた場合、どうなるんだろうなぁ。何となく昔の方がそういう人が多そうで、だからお寺の宗派が変わると言われたら反発も起きそうだけど、そうでもなかったのだろうか。


今回の本全体を通して思ったのは、「実は決まっていることってあまり無いんだな」ということ。

お寺の宗派もそうだし。

紀伊山地は、神話の時代から神々が鎮まる特別な地とされ、仏教でも仏や菩薩が宿る浄土と考えられた。

と書かれているのだけれど、そもそも仏教は外から入ってきたものだし、仏教ができた時点で紀伊山地の存在が知られていて「そこを浄土と定める」と書かれていたわけはないのである。

お寺の場所でも聖地でも何でもそうだけど、昔の人がその地に何か力を感じて、そう決めたにすぎない。

それを軽んじるつもりは全くなくて、そういう目に見えない力はきっと「ある」のだと思うし、昔から受け継がれてきたものに価値もあると思う。けれどそれは決して「決まっていて絶対に動かないもの」ではなくて、「場合によったら変えることも可能なもの」なのだなと思ったのだった。

雑誌の最後の方では、「誰も知らない江戸の奇才」という連載で、濱口梧陵という方が紹介されていた。『稲むらの火』という話の元になった人物で、元の話と物語は随分違うようなのだけれど、地震の時に稲むらに火をつけて皆を救った人らしい。

この方は地震後の活躍もすごい。炊き出しをしたり、義捐米の提供を取り付けたり、仮設住宅を作ったり。更には堤防まで作ってしまった。

読んでいると「その時必要だと思ったことをとにかくやってみている」人なのだなぁと思う。「こうでなければならない」と決まっていることなんて実はそんなになくて。自分で考えて自分で動いて。どんどん世界を変えていけるのではないかなぁという気がした。


「実は本当に決まっていることは少ない」というのは前から聞く話だし、頭ではわかっているつもりなのだけれど。自分はまだまだ、いろんなものに縛られているんだなぁと気付けた。それが一番の収穫だったかもしれない。


ではまた明日。


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