さらば森じぃ

約15年間お世話になった車と別れる日がやってきた。せっかくなので、今日はその車の思い出話を書こうかなと思う。

私の実家は、100人に聞いたら100人が「田舎」と言うだろう場所にある。車は「一家に一台」ではなく「一人一台」な地域である。そんなわけで私も、免許が取れるようになったらすぐに取ったし、免許が取れたら自分の車も持つようになった。

一台目は、運転が下手だしぶつけてもいいようにと安くて古い中古の車を買ってもらった。今回お別れするのはその後、私にとって二台目の車である。

初めての新車。初めて自分で選んだ車。初めて自分で買った車である。と言ってもさほど車に対してこだわりがあるわけでもないので、「何となく」で選んだものなのだが。

車の形は買う時に見たものの、色はパンフレットを見て「何となく」で選んでみた。その結果、想像とは違う何とも言えない色の車がやってきた。決して目立つ色ではないのだけれど、おそらく同じ色はこの車と同時期に作られた同じ車だけなのではないかな。とにかく不思議な色だった(この15年ほどで同じ色の車を見かけたことは5回も無いと思う)。

「君はなんか『森じぃ』って感じがするね。『森蔵正造』とかどうだね」

20代の自分の思考がよくわからないのだけれど、とりあえずその場で名前をつけた。その後名前が使われる機会はほとんど無かったのだけれど、今でもその名は覚えている。

「森じぃ」とは四国内をあちこち旅した。四国外に車で出るのはちょっと怖くて行っておらず、唯一行ったのは淡路島くらいである。

その代わりというわけでもないけれど、四国の東西南北端は一緒に制覇した。ちなみに東西南北順に言うと、蒲生田岬(徳島)、佐田岬(愛媛)、足摺岬(高知)、竹居観音岬(香川)という名前である。それぞれの県に最端がある。とてもバランスがいいと思う。

そうして私の二台目として活躍してくれていた森じぃなのだけれど、出産を機に夫がメインで乗ることとなった。結婚前は東京に住んでいた夫。免許は持っていたものの車は持っていなかった。こちらに来てから原付で頑張ってくれていたのだが、二輪車は何かあった時に危険だし、子どもの送り迎えとかが今後出てきた時にやはり一人一台いるだろうと。新たに買う車に私が乗って、森じぃは夫が乗る。そういう話になった。

そんなわけで森じぃにはここ4年、ほとんど乗っていない。それでもやっぱり、私にとってはお世話になった車だし、特別な車であることに変わりはない。

そういえば出産で思い出したが、私が息子を産んで死にかけていた日(子宮内反症になった)、森じぃがパンクした。もしかしたら私に起こるはずだった悪いことを肩代わりしてくれたのではないか、とは今でも思う。

現在、私は三台目の車に乗っているわけだが。初代や森じぃと比べると、思い入れは少ない気がする。名前も特に付けていない。毎日お世話になっているし全く不満はないのだけれど、この車は「私の車」ではなく「家族の車」という認識だからかもしれない。

家族がいる以上、これから買う車は「家族の車」という認識になりそうで。そういう意味では森じぃ以上に思い入れのある車は、今後出てこないのかもしれないな。

今日は夫が車屋さんまで森じぃに乗っていき、新しい車で帰って来る予定である。出かける前、最後に一度だけ、運転席に座ろうかなと思っている。それでお別れだな。

さらば森じぃ。約15年間、お世話になりました。ありがとうね。


ではまた明日。