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兄弟と青春とネブワース1996

昨日のつづき。

「オアシス:ネブワース1996」を観に行ってきた。


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私がoasisを聴くようになったのは確か中学2~3年生の頃だ。

確かミスチルの桜井さんがインタビューでoasisを話題に挙げており(内容は忘れた)、近所のTSUTAYAでベストアルバム「Stop the Clocks」を借りたのがきっかけだ。

中3の英語の授業で教育実習生として赴任していたショートカットのお姉さんがロック好きで、背伸びしてoasisとレッチリの話をしたのを今でも鮮明に覚えている。


そんなoasisが"絶頂期"とされている1996年にネブワースという場所で、約25万人を集めてライブをした模様をバンドの映像だけでなく、ファンの視点で描いたのが本作品である。チケットの予約には約250万人が殺到したそうだ。

本作品に関して、監督であるジェイク・スコットは以下のようにコメントしている。


"音楽とリアルタイムなロックンロール体験によって突き動かされる物語。カメラに向かって行われたインタビューや、不要なセレブの思い出話は一切ない"


この作品に在るのは、何処にでもいる音楽ファンの思い出。

それは高尚なものでも学問のようなものでもなく、ただそこに"最高"があった。そんな瞬間がパッケージされている。


前提として、本作品はライブ映像を映画館の音響設備でただ楽しむ、といった名目では作られてはいないし、バンドのロックスター然たるアティチュードに着目したものでもない(それは「オアシス:スーパーソニック」で既に描かれている)。

何処にでもいるファン達をフィルターとして、その視線の先にあった1996年のoasisを描き、当時SNSどころかインターネットすら無かった古き良き90年代を生々しく映像化している。

まさに当時4歳であった私達から青春時代を捧げた往年のロックファン達まで、全ての人たちが追体験できる作品として構成されている。


こう書くと少し門戸が狭く感じられたかもしれない。しかし、私個人的には音楽ファンであればこの映画は楽しめるのではないか、と感じている。

チケットを取る時のあの感じ、人気バンドでしばしば起こる争奪戦、ライブ当日まで生きねばという感覚、会場までの移動とワクワク、開演待ちのソワソワする感じ、照明が落ちメンバーが登場したときの全身に電撃が走る感じ、大きな音響に脳天を揺らされる感じ、凄まじい大合唱、隣や前の人との密着、熱気と汗のにおい、滝のようにあふれ出る汗と涙。

音楽が好きでライブに足を運んだことがある人なら絶対に経験したことがあるはず。そして、それら一部は新型コロナウィルスによって奪われ失われたもの。

そんな音楽ファン達がコロナ禍において限りなく"あの感覚"を体験できるようになっている。まさに、"時空を超えたライブビューイング"なのである。

私自身、伝説のライブの生々しい追体験にメンバー登場シーンでボルテージが降り切れ、ごくごく自然に涙が溢れ出し、自分でも驚いた。


何度も繰り返すが、本作品はファンの視点が主題だ。本編では数多くの当時のファン達の思い出話が挿入される。

私自身も恐れ多くも共感をしながら、また自分自身の思い出も名曲・名演に重ねながら鑑賞した。


大学2年生の春、サークルの新入生歓迎ライブで同期5名とoasisのコピーバンドを組んでいた。

前哨戦としてoasisのウェンブリースタジアム公演のDVDを観ながら、マックのハンバーガーを50個注文して食べるという、今でいうYou Tuberみたいなバカをして夜明けまで騒いだり、

本家ギャラガー兄弟のように歌うパート分けで少し揉めたり、さながらビッグマウスな発言で新入生を不用意に煽ったり、地面に叩きつけられたタンバリンが思いの外コミカルにクラッシュしたり。。。

そんな心の奥に大切にしまわれていた、かけがえのない思い出の数々が鮮明に蘇る。

それと同時に、ギャラガー兄弟の決別によって解散してしまったoasisという偉大なバンドはもう存在しないこと。ロックバンドの儚さ。

そんな個人的な思い出や感情を作品に重ね合わせ、何度も何度も号泣した。


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時に音楽の素晴らしい点として、記憶のフラッシュバックが取り上げられる。音楽を聴くことによって、(それを聴いていた)当時を思い出すというやつだ。

この作品はそんな音楽の魔法を最大限にまで増幅させた体験型の映画であり、oasisファンはもちろん、少しでもoasisを知っている人たち、そして、音楽を愛する人たち全てに向けられた救済だ。

一部劇場では10月初旬まで公開しているらしい。

ぜひ目撃してほしい。

いつまで消えない凄まじいフィードバックノイズを心に残してくれるはずだ。





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