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小説 空気 11 すれ違い

帰り道の最後の横断歩道を渡り終えると、空を見上げながら歩いた。
高い白い雲と、灰色の低い雲が逆の方向へ向かって流れて行く。雲のおかげで風が見える。空は面白い。

森に入り、空が小さくなると、仕方なく前を向いて歩いた。

先生はお母さんを素敵な人と言った。嬉しかったのに、違う、とも言ってしまいそうになったことを思い出した。
川上先生も
「世の中そんなもん。」
と言うだろうか。

折れ曲がった轍の所まで来た。朝には無かったタイヤの跡が何本か増えて、朝に見た、蓮華草を踏み潰した車のタイヤの跡は消えつつあった。
腰をかがめて、その蓮華草の方を見た。今日は誰もいないようだ。

「最強は、戦わずに勝つ、解決することよ。」
先生の言っていたこの「最強」はどんな意味なのだろう。どうすれば良いのだろう。

森を抜けた。いつもお兄ちゃんがいる草原辺りを見た。
今日はここにもいないようだ。ほっと胸を撫で下ろした。
次に会った時に何と言えば良いか、まだ何も考えられていなかった。

家の敷地の入り口にある枝垂れ桜が見えて来た。私道に入ると、両側に広がる畑と私道の境目に植えられたツツジの根元にインパチェンスが茂り、それは地面がが見えなくなる程で、赤や白やピンク色の花が所々咲き始めていた。
家はその私道を50メートルほど進んだ所にあった。

玄関の戸を開けると、大きな笊(ざる)が置いてあった。その中には、新聞広告の裏面の白紙に書かれたメモが入っていた。
そのメモにはこうあった。

生姜 
茗荷 
紫蘇 
えんどう
月桂樹の葉
ローズマリー (長めに切ってきて)
明日になったら美味しくなくなりそうな熟れた野菜
よろしく良子。

お母さんは今日、とても機嫌が良いらしい。
美味しいご飯を作ろうとしてくれてるみたいだ。

ランドセルを玄関に置いて、笊と玄関の引き出しにある庭鋏を持って外へ出た。

まず最初に、玄関先にある月桂樹の木に登り、5枚ほど葉を採った。
木から降りて、近くにあるローズマリーの株へ駆け寄り、30センチくらいの茎を三本くらい鋏で切り、笊に入れた。
今日のご飯はきっとお肉かもしれない。

家の裏の、杉の木の林と家の間に生えている生姜を5~6本抜いた。その近くにある湿った土を掘って、茗荷を10個くらい採った。
今日の味噌汁は茗荷かな、と思った。
泥だらけになった手を雨水の溜まったタライの中で洗っていると、目の前のキノコ棚に椎茸が大きく育っていたのでもぎ取り、笊に入れた。

残るは紫蘇とえんどう。
えんどうの生えている畑へ行く途中に紫蘇が沢山生えていた。紫蘇を15枚摘み、えんどうの畑に向かうと、急に体が痒くなって来た。いつの間にかいくつも蚊に刺されていた。体を掻きながらえんどうを摘み始めた。炒め物が出来るくらい採ると、笊は一杯になった。

生姜と紫蘇は豆腐の薬味かな。そんなことを考えながら笊を抱え、インパチェンスを踏み潰さないように、ツツジの木の横をつたい、家まで戻った。途中、熟れたトマトときゅうりも見つけてしまい、腕だけでなく顎も使わないと笊を抱えられなくなった。

家へ戻り、台所へと廊下を進んだ。
さあ答え合わせだ。

「お母さん、採って来たよ。」
「ありがとう。」
お母さんはじゃがいもの皮を剥いていた。
「今日のご飯は何?」
笊から野菜を取り出して、揃えながら言った。
「カレーと冷奴とえんどうの炒め物よ。」
「カレーだったのね。私は肉料理かなと思ったよ。」
美味しそう。でも、なんとなく違和感があった。
「ローズマリーは何に使うの?」
私は椅子に座り、えんどうのさやの筋を取り始めた。
「使わないよ。棚に飾るの。だから長く切ってと言ったの。」
「ああそうか。茗荷と生姜と紫蘇の冷奴、美味しそう。」
「茗荷はね、カレーだから。」
私の苦手な茗荷の入ったカレー。お母さんも知っていたはずなのに。
「お母さん、茗荷とか大根とかなぜカレーに入れるの?入れてほしくないよ。」
「え!美味しいじゃないのよ。」
お母さんは私がこう反応してくることは想定済みのようだ。驚いた声と言葉とは裏腹に、表情は全く変わらない。
「いやだ。食べない。そんなカレー。」
えんどうを握ったまま立ち上がった。
「勝手にしな。でも、食べられるようになるまで沢山作るよ。」
「せっかく色々採って来たのに。なんだよ。」
茗荷なんか採って来なきゃ良かった。
「ありがとう。でもね、お母さんは茗荷のカレーが好きなの。」
献立を考え直す気は無いようだ。
「もういい。」
先程までウキウキはどこへ行ってしまったか、思っても見ないことでお母さんとまた喧嘩してしまった。今日は、川上先生がお母さんを褒めていたよ、お母さんを素敵な人だと言っていたよ、と話してみたかったのに。


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