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とある夏の出来事と京都の友人

コロナ前のとある夏。
京都の友人が不意に、断捨離中の我が家にやって来たことがあった。

「まぁ、えらいこっちゃやなぁ」

と、足の踏み場もないほどに散らかっているリビングを目の当たりにして、京都の友人がクスクスと笑っている。
我が家は家族の誰かしらが定期的に断捨離をする時期があり、この時の断捨離を始めたのは父で、机やクローゼットの引き出しをあちこち引っ張りだし、リビングに運んでいるもの、いらないものと仕分けするという作業をしていたのだ。

「年取ったし、こんなに時計があっても使わないしなぁ」

父は3、4個ほどの腕時計の箱を段ボールにいれる。それは、巷で流行っている宅配買取サービスに送る予定のものだった。

「パパ、その箱どないするん? 」
「宅配買取に出すんだよ」
「あかん!」

即答する友人に、我が家はビックリして京都の友人を見つめてしまった。はんなりしているこの友人が「あかん!」というようなはっきりした言葉を使わないからだ。

「それは金券も買うてくれるような、そういう買取屋に持って行き」
「でも、対面だと緊張するからなぁ」

父は強面のくせに引っ込み思案なところもあり、自営業だった時にそのシャイな性格のせいで営業にかなりの苦労をしていた。しぶる父の様子を見て、

「ええわ、そこに一緒に行ったる。それならええやろ」
「あ、え?」
「一緒に行ったる」

柔らかな口調の中にかなりの気迫があった。その空気に流石の父も折れたのか、半ば強引に京都の友人に連れられて、ブランドを買取してくれるお店に出掛けて行ったのである。

京都の友人が久しぶりに関東へ来たこともあり、共通の友でもあるイギリス人の友人が後から我が家に合流したのだが、「せっかくこっちに来たのに、何でブランドの買取なんかにむきになって一緒に行っちゃったんだろうね」とおしゃべりしながら、家に残された者でお茶を楽しんでいた。

そして、1時間半後。

「凄くてびっくりしたよ」

と、父が興奮気味に帰ってきた。隣にはすまし顔の京都の友人。一体何が凄かったのか、私たちは首を傾げた。

「最初は『こちらの時計は古いモデルばかりだなぁ、うーん』なんて言っていい顔しなかったから、持って帰ろうかなと思っていたんだよ。そしたら、〇〇ちゃん(京都の友人)が隣で『そうですやろなぁ、でも古くてもええものはええものですねん。物は人を選びますやろ? 次にどない人がオーナーになるか、それが楽しみですわぁ』と、それこそオホホ、と微笑んだんだよ。そしたら随分間が空いて、何故か高値で買い取ってくれたんだよ。お金を支払ってくれながら、『いや、何かお連れ様の目力が凄くて、自分でも何でこの金額つけたんだろう』とかぼやいていたし」

不思議がる父を尻目に、私と母、イギリス人の友人はきっと京都の友人のミステリアスなオーラに買取店の店員さんが絡めとられたのだろうと思っていた。
たおやかで、物腰柔らかく、目立つことが嫌いな京都の友人ではあるが、何か窮地に陥ったり、立ち上がらなければいけないような出来事があると、芯の強さと凄みが相まって覇気となり、『極道の妻たち』の岩下志麻さんみたいな気迫を持つ。

「さて、このお金で、美味しいものでも食べようか。お礼に御馳走するよ」
「ほんま? ならなぁ、美味い日本蕎麦が食べたいねん」
「お蕎麦で良いの?」
「こう見えても、蕎麦にはうるさいねんで」
「そうなの?」

こんな会話をしながら、何処までも“THE和”な京都の友人は、後日長蛇の列に文句を言いつつも美味しいと評判の日本蕎麦屋さんで舌鼓を打った。

「うまいなぁ、この蕎麦」
「本当だね」

この時の私達はすっかり忘れていたのだ。
この友人が金運に関係する稲荷神社に所縁のある人だったということを。


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