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食を通して自分の心身を整える京都の友人

京都の友人の夢は「井之頭五郎みたいに全国の食べ物を巡ること」なのだという。
“井之頭五郎”というのは、『孤独のグルメ』の主人公の名前だ。

この京都の友人は細身でミステリアスな外見からは想像のつかないほどの食道楽である。なので仕事中でも食べ物のことを考えているらしく、同僚からは「昼近くになると微笑みながら仕事している」と言われたらしい。

愛読書は女優沢村貞子の『私の台所』、好きなドラマは『孤独のグルメ』という“食”に関するものばかりなのも頷ける。雑誌やテレビで興味のある食べ物を見つけると、翌日に朝早い仕事が控えていたとしても、日帰りで島根や広島へ弾丸ツアーするらしいのでその探求心は計り知れない。雨の日も風の日も、はたまた雪の日も大好きな錦市場に足を運び、自分の食べたいと思ったものを手に入れて、自分の好きなものを作って食べる。

私は京都の友人と出会ってから、"食"というものについて改めて考えさせられた。この人にとって食べ物はただ空腹を満たすものではなく、自分自身の心と身体のこと、そして相手のことを深く知るための大切なツールとなっているのだ。

「おこうこしか箸が進まなければ胃が悪いか気分が悪いのどちらか。その時はすぐきを食べてみて、これは酸っぱい思ったら胃が悪い。それすら口にしたくないならメンタルの問題と細かく原因を探っていく。食べ物はなぁ、身体の声を聴くための大切なもの。誰かと食事して食べた後に胃が妙ならば、一緒に食事した人が自分にとって気に食わへん人ってこと」

と京都の友人はよく言っている。
そんな訳なので、京都の友人は自分が好きな人としか食事をしない。だから、ランチであまり親しくない人と交流を図るということはしたくないのだという。

「食べてる時は寝てる時みたいに無防備やろ? その人の素の顔が出る。その素顔でいる時に気に食わへん人と食事するなんて、なんの罰ゲームかと思う。よくなぁ、いじめに遭ってトイレで食事する子おるやろ? うちはそれ、高く評価してるで。自分をいじめる奴らと同じ空間で食事するぐらいなら、たとえトイレだろうと一人食事した方が自分の心を守っていることになる」
「確かに、私も大学時代に人間関係に悩んで、密かに隠れ場所を見つけてそこでひっそり一人で食べていたかも」
「せやろ? 食事の時は素の自分に戻りたいんや。なのに、好きでもない人たちと食事して気を使って何食べたかわからんような気分になるなんて。だからこそ、『孤独のグルメ』がおススメなんや」
「出た、『孤独のグルメ』」
「一人で食事することは悪い事やない。最近、孤食とか言いはるやろ?でもなぁ、自分で満足しているんやったら、一人で食事したってかまわへんの」

と言う訳で、京都の友人は美味しいものを求めて一人であちこち出歩くし、自分でも色々な料理をする。好きな人たちになら手料理を振舞うのも好きだし、一緒に食事するのも大好きだ。

「自分しんどい、って思った時に立ち止まって考えて。食事をする時間が楽しいと思わん時は、自分に余裕がない時。疲れた時に自分の一番好きな食事を一人か、もしくは自分の好きな人たちと食べてみると早く疲れが回復する」

そう京都の友人に言われてから、私は日本にいる三人の友人、家族としか食事をしない。この数年はコロナ禍ということもあり、嫌な人達と食事をする機会を運よく切ってこれたのもラッキーだった。

大好きながんもどきを口に入れて、やっぱり美味しいなぁと感動する。
食事をしながら思う。
今の自分はどんな気持ちだろうと。


~あとがき~
京都の友人「eve、欲しがってた漬物、長いもわさび漬け、クールで送ったから」
私「おぉぉ!ありがとう、〇〇ちゃん」
京都の友人「うちはちょっと奮発して、千枚漬け買ったわ」
私「千枚漬けってそんなに高かったっけ」
京都の友人「六千円ぐらいの買った」
私「何故、そんな高額な千枚漬けを!?」
京都の友人「漬物好きとしては京都の漬物をすべて制覇したい。誕生日やし、自分へのご褒美や」
私「(心の声:千枚漬けが自分への誕生日プレゼントなの!?)」



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