見出し画像

★キャンピングカー生活まであと136日★「マイノリティ」

明日なんの日?

え?これだけ?

こんにちは。
本日は真面目なテーマで。

マイノリティ、について。

※あえて開示しますが、私が今までの人生で少数派になった経験はほぼありません。詳しいわけでもありません。
なので一部の人がこの記事を読むと綺麗事だとか、知らないくせに記事を書くなとか、一定の反感を買うことは承知の上で執筆します。

色々な感じ方、意見あると思いますので、それは反発や怒りとして表すのではなく「教えてあげる」という気持ちでコメント頂ければと思います。

マイノリティ(minority)とは
〘名〙 (minority)⸨ミノリティ⸩
① 少数。少数派。少数党。⇔マジョリティー。〔アメリカ雑記帳(1947)〕
② 多民族国家で、相対的に数の少ない民族。

コトバンク 精選版 日本国語大辞典 より

簡単に言えば少数派、ということですよね。

私たちが生活しているこの民主主義社会において、少数派というのは致命的に受け入れられにくい風土が醸成されているように思います。

ひと昔に比べて多様化したとはいえ、まだ社会ニュース等で取り上げるぐらいに根は深いものなのでしょう。

シニカルに言いますが、正直、私は根本的な部分で人に興味がない節があります(最近はまだマシになってきました)。

なので、他人がどんな格好をしようが、どんな主張を持っていようが、どんな性的自我を持っていようが、気にしません。
そんなの自由にすればいいでしょ?ということです。

集団的な活動にあまり意義を見出せないと思うこともあります。
みんな自由にそれぞれの色や好き・得意をそれぞれの場所で発揮すればいいじゃない。
お互いにお互いを縛り合い邪魔し合うことに何の生産性がある?
(もちろん規律や法律は必要と思うけど)
と、思うのです。


違うコミュニティや違う主義同士がお互いを潰し合おうとするぐらいなら、無視して放っておけばいいじゃない。と思うのです。
別に尊重とかしなくてもいいし、無理にする尊重ほど薄っぺらく滑稽なものってないと思うし。

以前に「怒り」の記事を書いたことがあるけど、どっちかが冷静さと客観的視点を失い「怒り」の感情をコントロールできなくなった時点で「対話」は不可能になると思ってます。

しかしながらこの民主主義社会、多数派=正義の構図は不可避のものとなってしまっている。

「受け入れられる」ことを目指すなら優等生のように多数派の形に合わせるのが無難。

救いはSNSやネット交流の普及かなと思います。
身近にいない同士も、この広い世界に視野を広げれば自分と同じ趣向の人は案外多くいるものだと思う。

私は本当に自分がやりたいこと、なりたいもの、達成したいことなら、身近に受け入れられるとかではなく自分らしさをマクロな視点で貫き通せばいいのでは?と思ったりします。

それ結局、他人の目線を気にしてカッコ悪くない?って。

話は変わりますが、普段タクシーの仕事をしていると、たまに永田町を通ったりします。

永田町といえば国会議事堂をはじめ政府機関が集まる地域ですが、ここで毎回見かけるのはプラカードやメガホンを持ったデモ隊。

「そんなことやって意味があるのか?」と思う。
国なんて最も「多数派=正義」を信じている機関。
そんな常識が違う相手を説得するのに時間をかけるぐらいなら、もっと有効な時間の使い方があるんじゃない?

マイノリティの人が主張することを間違っていると言いたいわけじゃない。

だけど国や機関に自分たちの主張を通そうとすることは、それって

自分たちじゃどうしようもないからって降参してるのと同義じゃない?
他力本願じゃない?
前に進まなくない?
デモやることが目的化してない?

って感じる。

それなら自分たちが直接、自分たちの理想に繋がるような行動すればいいんじゃない?

冷たい言い方かもしれないけど、マイノリティがマジョリティ化することはないし、仮に逆転してもまた別のマイノリティが出来るだけで同じような問題はまた起こるわけで。

少数派目線では「なぜ自分たちがマイノリティなのか」を、多数派目線では「どうすればマイノリティと共存できるか」を中心に頭フル回転で考えていく必要があるのではないか。

どちらか片方でも歩み寄ることができなければ、問題解決に近づくことはない。圧政になるだけ。
だからこそ「自分の意見を押し通すためにはどうすれば?」思考は危険。

もっと柔軟に。
「どうすれば寄り添ってもらえるか?」を考えるといいんじゃないかな。

だけどストレートにもう一言。
マジョリティ側は別にマイノリティ側の主張が通らなくても困らない。普段そこに課題を感じてないし、別で課題を感じることがあるから時間を割かない。

これがクセモノですよね。

結果、マイノリティ側って、どうしても労力かかるし我慢しないといけないことも多いと思う。
だけど、それを乗り越えてまでも自分たちの理想を実現したいんでしょ?

そういう思考や挑戦って何もマイノリティに限らず、どの人間でも経験すること。

何事も待ってるだけじゃ始まらない。実現しない。
人のせいにしてばかりじゃ受け入れられない。認められない。

結局、詰まるところ、人としてどう行動するかって問題で、あなたがマイノリティかどうかが重要なんじゃない。

あなたが本気で現状どうにか変えたいと思ってるかどうかじゃない?

別にそこまでじゃないなら、我慢して別でそこそこに自分らしさを表現できる場を見つけた方が幸せかもしれない。それもまた一つの選択。

とまあ、色々書き殴ってみたけど、
国や自治体に柔軟性が足りなさすぎるのは事実。

無理に日本に固執せず、フィールドを変えるのはアリかもしれませんね。

<<<あと136日>>>
あなたはどうしたい?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?